前号の通信で、劇場での上映は終わっているとお伝えしましたが、今後数回の上映予定が組まれたようです。他にも自主上映会を考えている方があると聞いていますので、ここでは映画の内容について詳しく書くことは控えさせていただきます。ですが、終了後皆さまからいただいたご感想の数々に胸に受けた感動が、あふれるように、こぼれ落ちるかのように綴られていました。通信第43号にも一部紹介しましたが、皆さまのメッセージを読んでいただくことで、映画の内容が伝わるのではないでしょうか。
終了後は若干の休憩を挟んで、会場にいらっしゃったお二人の考古学の先生にお話を伺いました。映画を見終わってのご感想はもちろん、いつもとは少し異なる視点からのお話を伺うことができ、お得な気分の上映会でした。先生方のお話も掲載いたしましたので、是非ご精読ください。
2024年10月6日(日)
参加者 8名
3月に須田先生の案内でめぐった南下浦遺跡探訪の続きです。前回は雨崎で急な雷雨に見舞われ、最後まで案内していただくことができずに終わってしまいましたが、その先も是非めぐりたいと、再度企画しました。昨夜の雨に変わって過ごしよい晴天に恵まれ、三浦海岸発のバスを松輪で下車。
@ 田鳥原(たっちゃば)遺跡
バスを降りたこの辺りを地元の人たちは「たっちゃば」と呼び、縄文土器のかけらや黒曜石などが古くから見つかっている、いわゆる散布遺跡だという。また畑の中にある全長80mほどの不定形の塚は50年前の写真と寸分変わるところがない。むかしの飢饉で亡くなった人の遺骸や牛馬の死体を投げ込んだところだという話をきいた。祟りを恐れて塚を壊して畑を広げようとする人はいないと、地元の方から伺った。
バス道を戻る方向に少し下り、右がわの丘に登ると高山の水道塔から金田湾、遠く房総まで見渡せる気持ちのいい畑のあいだの小道に出ます。今日はヒガンバナの赤がよく目立ちます。お彼岸はとっくに終わっているのに、例年よりずっと遅い開花です。丘の北東端、雨崎をめざして下った先が勝谷です。
A 勝谷(かっちゃ)遺跡
勝谷は金田湾に沿って北西方向に伸びた砂丘だ。内側(南側)の低地には畑がせまっている。その間に、もとは石棺だったと思われる石組みが4組発見され、砂丘内にはまだ埋まっている可能性があるという。弥生中期の土器片も見つかっている。近くの畑で大根のおろ抜きをしていた農家の方は、「そのへんから時々黒くなった人骨が出てくるよ」と話された。
農家の方に「みんな持っていきな!」と、おろ抜き菜っ葉をたくさんいただきました。 砂丘の東に標高25mほどの丘があり、その南麓が次の遺跡。
B 雨崎横穴墓群
金田字勝谷(かっちゃ)に所在。別名かっちゃ浜横穴墓群、松輪バス停から雨崎洞窟遺跡へ向かう途中畑に面した南側斜面の小さな丘が続いている所に16穴開口している。隅丸方形低ドーム形やアーチ形の玄室構造などがみられることから、7世紀代から築造された横穴墓群と考えられる。畑に面した小さな丘の所に2穴遠くからだが見ることができた。
C 雨崎洞穴遺跡
現在は樹木に覆われているが、時折陽が差し込むと白っぽい岩盤が見えて近づけば洞穴があることがわかる。洞穴といっても、深い穴ではなく、岩陰に近い(入口幅7m、奥行き4m、高さ2.5m)。1967-68年の発掘調査で洞窟の下層は弥生時代中期から古墳時代前期の生活址、上層は古墳時代前期から終末期にかけての墳墓が存在することが明らかになった。弥生時代の遺物(土器、貝輪、骨角器、卜骨等)、古墳時代の埋葬骨や焼人骨、副葬品が出土している。特筆すべきことは、古墳時代前期の小児の人骨を埋葬した木棺が見つかっており、現在は赤星直忠博士文化財資料館に収蔵保管されている。勾玉・臼玉・管玉など副葬品も確認されているため、雨崎の王子様(お姫様?)だったのかもしれない。古墳時代後期の火葬を行った施設も発掘されている。
雨崎洞穴の前は排水路整備の工事中だったので、東部浄化センターの構内を通らせてもらって東に進み、折り返して雨崎神社へ。最後の登りは昨日の雨で滑りやすく、草木につかまりながら苦労して進みました。
D 雨崎古墳群
全長約30mの、東側を前にした前方後円墳と、その前に接する直径約10mの円墳。自然地形を利用して、丘のてっぺんから金田湾を見渡すような位置に作られている。古墳時代はここから蛭田の丘の上にあった古墳や、長沢の古墳もよく見えたことだろう。大和朝廷が造り始めた前方後円墳の形が隷属の証として伝えられ、この地方の有力者が埋葬されているようだ。ヤマトタケルの東征とも関係があるかもしれない。
三浦市に前方後円墳があったなんてほとんど知られていない。きちんと測量して確認されたのも最近のこと。後円部のお墓を守るように神社が祀られてきたことで、大きな改変を免れたのだろう。
ここには房総と行き来する大蛇の伝説もある。
このあたりは雨崎古墳群を中心に勝谷遺跡、雨崎洞穴遺跡、雨崎横穴墓群と、弥生から古墳時代へと、同じ時を重ねた一大墓域だったようです。
さあ、浄化センターまで戻り、海沿いに金田漁港に向かいます。バス通りにでたところでブラフ積の石垣が見えました。
E ブラフ積石垣
横浜の外国人居留地のレンガ積みから学んだ日本の石工が、石垣に応用して作り始めた長辺、長辺、小口等という石組みで、横浜や横須賀基地を中心に明治から昭和初期にはやった。三浦でも大きな農家などの石垣にみられる。
金田漁港で昼食とトイレタイム。8人全員が一つの木の大きなテーブルとベンチを囲んでのんびりお弁当をいただきました。
F 岩浦横穴墓、やぐら群
岩浦のバス停の手前の断崖に穴が2つ見える。入口の所に五輪塔が立っているのが見える。左側木々で見えないが2穴ある、1穴は落盤で埋まっているが奥壁の半円形から古墳時代の横穴墓とみられる。もう1穴は奥壁に3基、左壁に3基五輪塔が彫られている、これは鎌倉時代から室町時代に「やぐら」として利用されたと思われる、五輪塔を彫るのは死者への供養のためのもの。また入口にある五輪塔は凝灰岩製、14世紀前半頃のもの。横穴は低いところにもあり戦時中海面砲台が作られた。断崖には道があったが今は無くなっている。崖の上には「伝三浦義村墓」がある、関東大震災の時に壊れて海まで落ちたと言われている。
岩浦バス停から4駅、高抜までバス移動。
G 高抜機銃掃射場
第二次大戦中に造られた狙撃用の陣地。蛭田の鼻、道路沿いの崖に崩落防止のコンクリートが吹き付けてあるが、その一角の高さ2〜3mの位置に四角い狙撃用の開口部が開いている。東京湾要塞研究家:デビット佐藤氏のHP「本土決戦基地マップ【三浦半島】」によれば、内部には狙撃室から通路がかなり長く続いており、弾薬庫または兵員棲息部と思われる空間がある。通路に続いてもう一か所狙撃口を設ける計画だったが途中で終戦を迎えた。また海岸に面した岩崖にも狙撃口が一つ設けられているが、内部は土で埋まっている。それにしても、こんなところから上陸する敵を迎え撃つつもりだったのだろうか。
南下浦中学校のグラウンドの縁の道を少し登ります。
H 高抜横穴群
南下浦小学校の横穴墓が1穴と中学校内の横穴墓群が21穴。小学校東面の丘陵先端の1穴は1964(昭和39)年運動場拡張工事中に発見、浜田勘太氏が調査。直刀断片、鉄鏃片、須恵器片、土師器片が出土。さらに寛永通宝、江戸時代の徳利片なども発見され、長くにわたって使用されていたが、発見当時穴の入口は大きな石をたくさん積んで塞いであった。
南下浦中学校は1974(昭和49)年に増改築計画に学校の裏山を崩して建てる事となり浜田勘太氏調査。舌状台地には11穴みつかり、全て覆土(砂)を出して実測、入口部分は狭く奥に向かうと扇形、または長方形に広がる。天井はアーチ形。土師器片、須恵器片が少数出土。
1986(昭和61)年中学校の校庭拡張工事に伴い調査。校庭予定地には遺跡が無いことが分かったが、計画の運動場から新運動場への取り付け道路付近の台地(中学校南東斜面、標高19m〜26m)に10穴開口している事が分かった。そのうちの低い横穴2穴を調査、覆土(砂)を出して実測。7世紀後半から8世紀初頭の造営と思われる。遺物は出なかった。
昭和49年、昭和61年調査の横穴墓は戦時中防空壕として利用されていた。
I 白山神社横穴墓 白山神社の奥にある、切妻造妻入形横穴古墳。三浦市指定史跡になっている。今から1200〜1300年前、奈良時代頃に造られたと推定される。内面の壁に朱を塗ったあとがわずかに残る。また、棟、柱、垂木、桁などが浮き彫りにされている。玄室の奥の部分は約10cm高くなっていて棺が置かれていたと思われる。
白山神社のすぐ奥が法昌(ほっしょう)寺。曹洞宗のお寺です。
J 法昌寺やぐら群 やぐらは鎌倉から室町にかけて、僧侶や武士の墓として山すそに掘られたもので、土地の少ない鎌倉を中心に作られた。ここ法昌寺では、寺を囲うように両脇と後ろが崖になっている。現在やぐらは寺の墓地と接しているが、50年ほど前は本堂の裏はほとんどが竹藪だったという。本堂裏の一番奥と両脇の崖すそに五輪塔のようなものや仏像のように見える浮き彫りが数か所ある。
法昌寺の前で初声方面へ帰る4人と別れ、残りの4人はバスに乗って三浦海岸で解散しました。
以上 記:浪本、松原、三本 写真:辻、浪本
2024.11.3 祖父川精治
相模台地を走る小田急江ノ島線。その東側に境川、西側には延長凡そ20キロの2級河川の引地川が流れている。
水源地の大和市和泉の森から、高低差凡そ60メートルの引地川は湘南鵠沼海岸を目指して行く。
河口の湘南鵠沼橋へ、小田急鵠沼海岸駅から徒歩10分。両岸は緑地に指定され川べりには遊歩道があり、護岸工事でガッチリと固められ排水路風になってしまった。昔は、うねうねと蛇行して氾濫洪水や、関東大震災の時は、恐ろしい大津波が川に沿って逆流したという。最近になって津波被害想定区域の標識が新設された。
稲荷橋の先に鵠沼伏見稲荷神社、和貴水と呼ぶ湧水が有名。東西に架かる、それぞれに意匠を凝らした個性的な橋の造作風情が面白い。いつも川面を見て暮らす人の話では、干満の差が30センチ以上もあるという。作橋の畔には、文化財ハイキングコースの案内板がある。鵠を(くぐい)と読み白鳥の古名。昔は、広い湿地帯で白鳥の飛来地それが、鵠沼の地名の由来とある。
JR東海道線、高山地下道の親水広場。トイレあり。長い国道1 号の藤沢バイパス橋。池の中央に鎮座する柏山稲荷神社。川面には数多くの水鳥の群れ。左から掘割のような細長い小糸川が合流する。
舟地蔵公園、舟形をした石造の台座に乗った赤い帽子と前掛け姿の船地蔵様が鎮座している。左方の台地は大庭城跡公園で、大庭景親の居城。永正9年(1512)北条早雲に攻められて落城。城下、二番構、駒寄、等往時忍ぶ昔からの地名が現存する。
箱形の横浜市水道橋、青いアーチ状の横須賀市水道橋。広大な元藤沢飛行場の跡地へ進出した大企業団地群。最も有名なのは、いすず自動車藤沢工場。柳橋、湘南台橋の前後には桜並木が続き、やがて東海道新幹線の高架橋。
小田急高座渋谷駅近く、花浄土「みつまた」の寺として有名な曹洞宗清流山常泉寺。開花期が桜と同じ春4月。
大和市福田地区、引地川両岸の約1・5キロは「福田の千本桜」として有名。川幅が約5メートルと狭く、両岸から差し交す樹木密度の高い桜回廊。川面に華やかな花影が映り、それは実に素晴らしいものである。お花見のシーズンには、屋台も並び大勢の人達で賑わいを見せる。
左側の台地は、米軍厚木航空基地。相模鉄道の高架トンネル下を抜ける。最近、大手私鉄等と交互乗り入れを行っているので、JR、東急等の車両を見ることがある。
東名高速道の下を通り、清冽な引地川の源流である広大な泉の森自然公園。中央には広大な池がある。復元した茅葺屋根の古い農家が保存され、園内をゆっくりと散策すると半日は必要となる。
水源地の泉の森は、自然環境保護のために柵で囲まれ一部は立ち入り禁止となっている。
コースタイム
引地川河口―4時間―福田の千本桜―2時間―泉の森―30分―大和駅
2024年10月12日(土) 14:00〜 リモート
参加者 8名
第44回のリモート交流会で相談し、寄せられた画像の中から2か月ごとの2025年カレンダーの画像を決定し、画像キャプションの概要を作成しました。例年、このリモート会議はパソコン初心者にも参加していただけるようにということで、パソコン操作に関する質問は何でもOK。カレンダーそっちのけで、パソコン講習会が始まったりもしますが、先ずはZoomで共有された画面を皆で見ながら、小網代の森の風景や生きものに感嘆しつつ画像を決めていきます。
そうして、決定したのが下の画像。楽しいキャプションをつけてお手元にお届けします。 写真も提供してくださった、T.Ishizukaさんのデザインです。
昨年は全ての会員さまにプレゼントいたしましたが、今年からは例年の通り、ご寄付のお礼として送らせていただきます。 わずかですが残部がございますので、ご希望の方には実費程度でお分けします。
価格:600円/部+送料実費 お申込み: info@mori-club.com 046-889-0067(仲澤)
●●● スタッフの活動
2024.10.06(日) |
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遠足 南下浦遺跡めぐり |
2024.10.12(土) |
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第44回交流会 2025カレンダー画像選考会 (14:00〜リモート) |
2024.10.19(土) |
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スタッフ会議(リモート) |
2024.10.20(日) |
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スタッフ研修「変形菌を探し2024@光の丘水辺公園」 |
2024.10.24(木) |
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小網代の歴史を訪ねてみようW編集会議(リモート) |
2024.10.31(木) |
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小網代の歴史を訪ねてみようW編集会議(リモート) |
2024.11.02(土) |
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スタッフ会議(リモート) |
2024.11.08(金) |
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小網代の歴史を訪ねてみようW編集会議(リモート) |
2024.11.16(土) |
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小網代の歴史を訪ねてみようW編集会議(リモート) |
2024.11.17(日) |
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遠足 池子遺跡群資料館〜まんだら堂やぐら群
小網代の歴史を訪ねてみようW小冊子入稿 |
2024.11.18(月) |
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こあじろの森くらぶ通信第44号編集会議(リモート) |
●●● ご寄付ありがとうございます
安西章次様 石川登美子様 加藤紀子様 浪本晴美様 三本保子様(五十音順)
自主上映会費用カンパ 掘る女上映応援隊
以上の皆さまからご寄付、応援金をいただきました。 ありがとうございます、大切に使わせていただきます。
●●● 【謹呈】小網代の歴史を訪ねてみようW「こあじろ考古学講座」小冊子
昨年9月9日に始まった須田英一先生のこあじろ考古学講座。その後、須田先生のご案内で三浦市内の遺跡探訪を2回、また、こあじろの森くらぶメンバーのみでの遺跡めぐりを2回と計4回の遺跡歩きで考古学に親しんでまいりました。その全記録に配付資料を添えて、「小網代の歴史を訪ねてみよう」シリーズWとして、小冊子にまとめました。通信44号に同封し、会員の皆さまにお送りします。
また若干の残部がありますので、入手ご希望の方はご相談ください。
●●● 第45回交流会 「森の落とし物を探して」
いつもとは逆コースで、漁港から引橋へ森の落とし物を集めながら登ります。深秋の森の落ち葉や木の実、色とりどりの落とし物を集めながら歩きましょう。昼食はベイシアのフリースペースで。お弁当はベイシアで購入もできます。
午後は水間様の谷を下り、寄り道しながら菊名バス停で解散します。
日 時:12月7日(土)
集 合:9:40 三崎口駅前 9:55 屋志倉行バスに乗り、小網代バス停で下車します。
解 散:16:00頃 菊名バス停
持ち物:飲み物、お弁当(ベイシアで購入もできます)
*参加資格:会員とそのご家族、ご友人
*保険はありませんので、ご参加は自己責任でおねがいします。
●●● 縁の会のお誘い(要予約)
第45回交流会の後ご希望の方は、恒例の縁の会へ。縁の会のみご参加の方は17:00現地集合。(三浦海岸駅から剱崎行または三崎港行のバスがあります。琴音バス停下車。徒歩でも15分ほどです)
日 時:2024年12月7日(土)17:00〜19:00
会 場:伊豆島 三浦海岸店(三浦海岸駅から徒歩15分 日本料理) バス利用は琴音バス停下車
TEL:046−889−4100
会 費:5,500円(税込) 飲み物は別途各自負担
予 約:参加ご希望の方は11月末までにスタッフ、または下記の連絡先にお申込みください。
(縁の会担当)
電 話 046-889-0067(仲澤)
・縁の会のみのご参加も歓迎です。
・ご参加はこあじろの森くらぶ会員とそのご家族、ご友人に限ります
●●● スタッフ研修 第11回 三浦の海岸歩き「三戸から黒崎」(要申込)
日 時:2025年1月18日(土) 雨天中止(予備日1月19日(日))
集 合:9:30 三崎口駅前
*参加ご希望の方は、下記までご連絡ください。詳細をお知らせします。
:
(メールの件名に「海岸歩き」とお書きください)
●●● スタッフ研修「変形菌探し2025@光の丘水辺公園」(要申込)
冬の寒さの中では変形菌が見つけ難いため、変形菌探しはお休みします。
再開は2025年4月の予定です。
●●●第46回交流会 「鳥いっぱいの小網代の谷2025」
恒例の鳥見会、2025年も小網代の森へ鳥たちと出会いに行きましょう。
日 時:2025年2月2日(日) 荒天延期 2月9日(日)
集 合:早朝谷歩きコース 8:00 水道広場(小網代の森引橋入口)
のんびり漁港コース9:40 三崎口駅前(または小網代漁港10:40) 9:55屋志倉行バスに乗り、小網代バス停で下車します。
持ち物:昼食、飲み物、あれば双眼鏡、図鑑など
講師:別府史朗
参加資格:会員とそのご家族、ご友人
*保険はありませんので、ご参加は自己責任でおねがいします。
●●●【予告】 「ニリンソウ」@光の丘水辺公園
例年3月下旬から4月上旬のニリンソウ開花時期に合わせて、一般公開されます。近くになりましたら、時期をお問い合わせください。
お問合せは 「水辺公園友の会HP」: https://mizubekouen.com/
または 水辺公園管理事務所電話/FAX:046-849-7650
こあじろの森くらぶの遠足として実施する場合は別途ハガキ、HPでお知らせします。
●●●【予告】第47回交流会 「みどり活き活き春の森」
春です。待っていたかのように芽吹く若葉、大胆に飛び回るチョウや虫たち。もうすぐ小網代の森は花園に変わります。恒例の、昭和の日交流会は2025年も実施する予定です
日 時:2025年4月29日(祝・火)荒天中止
イベント詳細は、3月下旬発行のこあじろの森くらぶ通信45号にてお知らせします。
参加資格:会員とそのご家族、ご友人
*保険はありませんので、ご参加は自己責任でおねがいします。