2024年2月4日(日)
講師:別府史朗
参加者:早朝谷あるきコース(4名)、のんびり漁港コース(3名)
今日は雨天で寒く、良い条件ではありませんが、小鳥たちは雨の中でも食べ物を求めて活動しており、いつもと違う鳥の姿や行動が見られるかもしれません。
早朝組は8:00に水道広場に集合、傘を差して“雨のこあじろの森”探鳥会が始まりました。水道広場で、また続く階段では、いつもなら数種類の鳥が観察できるのですが全く鳥の姿、気配が感じられませんでした。
ハンノキ林を過ぎるあたりから、地上の枯れた草原の中にアオジの姿がちらほらと現れだし、真ん中広場からは、アオジがあちこちで見られました。食べ物を探すのに夢中で、晴れの日と比べて姿を見やすいようでした。ヤナギテラスまでの左右のアシやオギは刈り払われ、見晴らしの良い原っぱになっていました。
ヤナギテラスで一休み。地上にはシロハラが、テラス周りのジャヤナギではエナガの群れが移動し、ジャナギの梢ではカシラダカ2羽が羽を休め、頭上をカワラヒワが通り過ぎて行きました。また、手元の図鑑には載っていない未知の小鳥も現れ、後で確認することになりました。
ヤナギテラスを後にしてエノキテラスへ移動。湿地には水が蓄えられ、張り巡らされた水路にはしっかり水が流れており、湿地回復に向けた取組が進んでいることが伺われました。まだ、足元の水路にアカガエルの卵は見当たりませんでした。
ここでは、樹上にシメやツグミの姿が、灌木やアシには食べ物を探すシジュウカラが、エノキの枝にはモズが見られました。周りの鳥を見ているうちに集合時間が迫ってきたため切り上げて漁港へ向かいました。
10:30に漁港でのんびり組と合流。気温が下がってきたので天候も回復の兆しです。
早朝組とのんびり組が一緒になって出発。復路は、時間的に鳥の姿があまり見られない時間帯なので、鳥を探しながら自然を楽しむことになります。宮前の峠までの道ではシジュウガラやアオジ、ヒヨドリの姿、ウグイスの地鳴きを聞きながら進み、浦の川の河口ではイソシギが尾を上下に振りながら歩く姿を観察できました。
エノキテラス横のエノキの枝では、モズが尾を上下に振りながら地上の獲物を探し、急降下してまた枝に戻ってくる様を見られました。
例年はエノキテラスで昼食ですが、雨のため取りやめ、周りの自然を楽しみながらヤナギテラスへ移動し、ヤナギテラスで休憩にしました。
ヤナギテラスでは、朝に確認できなかった小鳥がテラス近くを行ったり来たりしており、携帯で写真を確認したところ、それはニシオジロビタキでした。ちょうど居合わせた方からもニシオジロビタキであることを教えていただきました。また、テラスの近くには目と胸が緋色のウズラほどの鳥がいて、それがヒクイナであることが判明。さらに、皆でヒクイナを観察していると、数メートル離れた場所にヒクイナのメス?との声も出た、地味で嘴の大きい鳥、クイナがいました。こあじろの森では初めての、ニシオジロビタキ、ヒクイナ、クイナの3種を、数メートルと言う間近で、ゆっくりと観察できるとは夢の様でした。
休憩し、鳥の観察が一段落したところで出発。天気予報通り雨も止み、鳥を探す傍ら自然の変化や管理などについて話をしているうちに水道広場に到着。記念撮影をして、ベイシアに移動。ベイシアで昼食をとり、鳥合わせをして今日の探鳥会を終了しました。
雨のため中止も考えましたが、参加者の熱意で実施された今回の探鳥会。その熱意が実ったのか、初めてのニシオジロビタキ、ヒクイナ、クイナが観察される大変ラッキーで忘れることが出来ない鳥いっぱいの一日となりました。
今回観察できた鳥は以下の通りです。
キジバト、イソシギ、トビ、コゲラ、モズ、ハシブトガラス、シジュウカラ、ヒヨドリ、ウグイス、
エナガ、メジロ、シロハラ、ツグミ、ハクセキレイ、カワラヒワ、シメ、カシラダカ、アオジ、
ニシオジロビタキ、
クイナ、
ヒクイナ 計21種 参考:コジュケイ、ガビチョウ 2種 (赤字は小網代の森初出)
記・写真:別府史朗
2024.3.5 祖父川精治
NHKの大河ドラマで評判の「鎌倉殿の13人」に登場する畠山重忠。横浜市旭区鶴ヶ峰と二俣川周辺には、鎌倉殿の13人の重臣である畠山重忠ゆかりの史跡が数多く残されている。
二俣川の南には、頼朝没後に幕府内乱の勢力争いに巻き込まれ、元久2年(1205)6月、北条時政の陰謀により、数万の鎌倉側の武将兵が押し寄せたという「万騎が原」(まきがはら)という地名が残されている。対する重忠勢は僅か134騎で非業の死であったという。
その前に、重忠の息子の重保は、鎌倉へ呼び出されて騙し討ちにあってしまう。それは実に悲劇の一族でもある。
「慈光寺本承久記」によると、故大将殿(頼朝)の御時、軍の先陣をば畠山庄次郎重忠こそ承りしかども、其の人共は今はなし。先陣、誰にか有るべき。
鎌倉武士の典型とされた重忠は、平安時代末期の長寛2年(1164)、武蔵国畠山「埼玉県深谷市」を本拠とする畠山重能の子として誕生。歴史資料上も好人物として描かれ、いつも先陣を任されて戦功も数々あり勝利に貢献したとある。なかでも頼朝の前において、義経の思い人である静御前が鶴が岡八幡宮で舞った時に銅拍子を務めたという有名な話しが残る。また、平家追討の義経軍に従い一の谷の鵯越えの逆落としでは、愛馬を労り担いで崖を駆け下ったという。
町名を使った町中には、万騎が原幼稚園、万騎が原小学校、万騎が原中学校等が存在する。町内には大きな石碑の「重忠公遺烈碑」がある。古いもので明治25年(1892)土地の人達である万騎が原地区の有志57人により建立された石碑である。
地域の横浜市旭区内の名物に、重忠を名付けた甘い最中や豆腐、銘酒等を販売する店舗がある。二俣川駅近くには、縄文時代の遺跡があり、私の散歩コースの一つでもある。
次いで隣接の、相模鉄道鶴ヶ峰駅下車徒歩10分の旭区役所。区役所構内には、重忠ゆかりの柵に囲まれて首洗い井戸跡がある。
区役所近くの小高い所には、西向きに首塚があり七輪の石塔が建っている。 区役所先の国道16号と水道道が交差する所、茂みに囲まれて畠山重忠公碑がある。没後750年を記念して昭和30年(1955)6月、地元の鶴ヶ峰と重忠公出身地である埼玉県深谷市畠山の有志により建立されたものである。
近くの曹洞宗東隆山薬王寺には、畠山重忠を始め134騎を埋葬したという丸い六ツ塚が境内にある。寺では、重忠命日の6月22日には、毎年法要を行っている。寺横には詳細な案内板がある。おおよそ乱世には学問道義は衰えるが、畠山重忠公は智仁勇の三徳を兼備した武将で今なお親しみ慕われている。
表示された案内板から以下に抜粋する。
前略 鎌倉方北条時政から急ぎ鎌倉に出頭せよとの命に接した公は、菅谷の館「現在の埼玉県比企郡」を6月19日発し、鶴ヶ峰にさしかかるや雲霞の如き数万騎は、ここ霊堂の前方帷子川を越した彼方の台地(万騎が原)方面から、突然攻め寄った。公は策にかかったとは知ったが武士として、ここに決戦を覚悟した。
この時、公の重臣らは一度菅谷の館に引返し軍を整えて鎌倉方を待つよう進言したが、公は毅然として我に陰謀ありと、無実が事実となり永久に汚名を着ると諭した。馬の刻(正午)より数時間の合戦の果て、愛甲三郎季盛の矢に当たり、遂に一族郎党134騎と共に玉砕した。厄年の42歳。時に元久2年(1205)6月22日。この地へ主従一同を六ケ所へ葬り、代々六ツ塚と呼ばれている。「昭和48年(1973)6月22日建立」
薬王寺の近くの墓地、畠山重忠の妻「菊の前」は、合戦の知らせを受け急ぎ駆けつけました。この地で重忠戦死の報を受けて悲しみ自害をした。その場所へ駕籠ごと埋葬したので駕籠塚とよんでいる。墓前には、美しい生花が絶えたことはない。
2023年11月25日(土)
参加4人 薄曇りから晴れ
雨崎から通り矢まで海岸線を歩いてきて、城ケ島に上陸。今回はまた本土へ戻って来た。
通り矢行のバスを晴海町で降り、今は公園になっている北原白秋の旧居跡(写真‐1)と、そこから見える城ケ島や海の景色を確かめる。
通り矢まで続いてきた自然海岸が、この先は港湾施設が続き、西海岸の白石辺りまで人工の海岸線となる。そこで今回は三崎の歴史に触れながら、町を横断する「街歩き」を楽しむことにした。 三崎の町はそれほど広くはないが坂が多く、いたるところにちょっとした階段があり、違った風景が開けて驚かされる。またどういうわけかお寺や神社が多く、その説明板を読むたび歴史上のキーパーソンが立ち現れ、興味をひかれる。
白秋旧居跡から、背後の山裾にある赤い鳥居が並んだ、三崎のかわいい伏・見・稲・荷?(写真 - 2)、田中(桜)稲荷を参拝。ここのお稲荷さんは、ちょっと珍しい。かわいい子狐が母狐にへばりついているのだ(写真‐3)。
田中稲荷の北隣の淋しい場所に隠れるように建つのは、源頼朝の側室とされる妙悟尼の墓(写真‐4)。頼朝は三崎が気に入り、たびたび訪れたようで、椿、桜、桃の花の三御所といわれる風光明媚なところに拠点をつくり、お妾さんを住まわせ、歌舞音曲を楽しんだらしい。そこは大椿寺、本瑞寺、見桃寺というお寺になっているが、妙悟尼は頼朝をしのんで1230年、大椿寺(写真‐5)を開基した。
城ケ島大橋をくぐってすぐ西に大椿寺はある。ちょうど大橋の旧料金所からお寺の裏にかけてが、向ケ崎(大椿寺裏)古墳があったところで、6世紀頃の埴輪が出土したそうだ。お寺の裏を覗いてみたが、今は古墳も椿も見つからなかった。 北条湾を北上して諏訪神社前を通り、三崎番所跡の石垣を確かめ、西岸の日の出の商店街から本瑞寺への長い石段を上る。 桜の御所本瑞寺の創建は、三浦一族の祖とされる三浦為継で1058~1065年のこと。白秋はじめ文人墨客も多くお寺と交流があった様子が、句碑や墓碑などにしのばれる(写真‐6)。 本瑞寺と並んで、和田義盛1194年開基の光念寺(写真‐7)がある。この二つのお寺は三浦市でも有数の大寺院である。
高台にある二つのお寺を背に東側は、北条湾、城ケ島、大橋、通り矢方面を見渡す絶好のロケーション。ここにあるベンチでお弁当をいただく。 光念寺の脇を通って海南神社(写真‐8)の裏を回り込み、正面入り口へと進む。海南神社の祭神、藤原資盈(すけみつ)は貞観6(864)年、暴風のため三崎に漂着したが、善政により当時の住民に慕われ、後年三浦の鎮守としてまつられた。4人の家臣は、太郎が諏訪神社、次郎はこれから行く住吉神社、三郎と四郎はそれぞれ城ケ島の西と東を守る形で祀られている。
神社を出てバス通りを渡ると、またもや長い石段があり、上りきったところが最福寺(写真‐9)。以前、三浦洸一という歌手がいたが、このお寺の次男だそうだ。最福寺は、元禄の大地震(1703年)で倒壊し、元御船手奉行であった向井将監一族の屋敷跡であるこの高台の地に移転してきたのだそうだ。
少し北にある、藤原資盈の家臣、次郎が祀られた住吉神社(写真‐10)に寄ってから、西海岸方面に向かう。道すがら、密集した住宅の間に、いくつか寺院の大屋根が見える。
海岸が見え、諸磯の岬が見え、台地の西端に出た。崩れそうな石段を用心しながら降りると、すぐそこは見桃寺(写真‐11)。寛永5(1628)年、御船手奉行向井正綱の開基である。桃の御所であるが、今は白秋が向ケ崎から一時移り住み、晩年に生前唯一建てた歌碑(写真‐12)のあるお寺として知られている。
という歌であった。歌碑はみられたが、お寺の建物はコンクリート製で小さく、いささか趣に欠ける。見回してみるが、墓地もない。そうだ、石段を下りた右側に何かあったなと思い、戻ってみるとそこに墓石が並んでいた。
奥の一段高くなったところに一きわ大きく、見たことがない形の立派な石塔(写真‐13)が並んでいた。熊野出身の海賊から水軍となって、武田氏、そして家康に仕え、江戸時代を通じて向井将監として活躍した向井一族の建てた石塔群だった。
西海岸線道路に出るとすぐ、白石の洞窟遺跡発掘作業現場(写真‐14)がある。囲いに覆われているが、洞窟のてっぺんが見えていてずい分大きな洞窟だと想像できる。新しい発見を私たちも楽しみにしているところだ。
道路を渡って、この辺りからまた自然海岸が現れだす。次は、県の天然記念物に指定されている「漣󠄁痕」(写真‐15)である。十数メートル離れた海中に延びる岩の中ほど、白いギザギザを双眼鏡で観察。ここで、地層大好き女子のKさんが俄然活気づき、説明してくれる。城ケ島の火炎構造にちょっと似ているが、海底で堆積した泥が固まりきらないうちに、一定方向の静かな波を受けて生じた渦によって、このような模様の地層ができるということだ。 海外の交差点まで来て、本日の海岸歩きはここまで。天神町のバス停から帰途に着いた。
記:松原あかね 写真:浪本晴美・木皿直規
今日の小網代
写真家 加藤利彦さんから写真をいただきました
スタッフ研修 変形菌探し2023@光の丘水辺公園
11月30日森の仲間と連れ立って横須賀市光の丘水辺公園を訪れました。 悪天候などで予定を延期しての今日の訪問は良いお天気で、YRP野比駅からトンネルを抜けるとそこは不思議の国でした。大きなビルディングが広々とした丘にゆったりとそびえたち自分が小さな蟻になった気分がします。ビルの中では日々最新技術を駆使していろいろな研究開発が行われているのです。
さあ私たちも虫眼鏡を使って最新の情報を探求しましょう。どんな研究も対象の観察が一番です。水辺公園友の会の別府さんに迎えられて公園事務所に入りポコポコとエアーが噴き出る水槽内の水生生物にもご挨拶してから長靴はいて園内の観察に出発しました。
普段の散策では入れない管理区域にはよれよれの門扉を開けてもらって侵入します。ここのビオトープにとってわたしたちはエイリアンなのです。
今日の目的は変形菌探し、虫眼鏡を携えたわたしたちは巨大な生物で彼らにとってはまるで異次元の存在です。名実ともに異次元なのです。彼らの世界は平面の2次元です。私たち人の世界は縦横高さのある3次元です。もうそのことを思っただけでドキドキしてしまいませんか? 異次元世界の生物のコンタクトです。
朽ち木をバリバリ割って変形菌の捜索を開始しましたがなかなか見つかりません。恐ろしいエイリアンの襲来にどこかへ隠れているに違いありません。探してもみつからないので周囲をみまわすと自然いっぱいの秋の公園です。散策路にそって歩くだけでいろいろな生物に遭遇します。やはり3次元生物は3次元におなじみなので目は自然と立体的に観察してしまいます。植物も鳥も昆虫もいきいきとその存在を主張します。目も自然とそちらに向いてしまうのです。太陽に照らされて水底にうつるアメンボの拡大された水面のくぼみの影は彼らに体重があることを主張しています。空をとぶトビの姿は羽田空港を飛び立ったジェット機の下で堂々と自由に飛ぶことのすばらしさを主張をしています。
さて、本日の目的である変形菌ですが2次元世界の生物と紹介しましたが、普段はアメーバ状で平面をはって移動する生物なので面積があることはすぐにわかりますが厚みはあまり感じません。ところが季節によってその生活環境が変わると移動をやめて細かいキノコのような子実体に変形して胞子をぶちまけます。ですから実際は私たちと同じ3次元生物なのです。
今日の水辺公園の訪問を終わって帰るときに別府さんからおみやげとして培養した公園の変形菌を養子にいただきました。オートミールを食事にして飲み物は水でOKとのことです。無事に育ってくれるかな。楽しみです。
(伸)
水辺公園友の会の行事予定
キッズ自然教室Ⅱ「田植え・稲刈り」5回コース |
① |
オリエンテーション・自然観察 |
5月4日(土) |
9:30~12:00 |
② |
田植え |
6月1日(土) |
9:30~12:00 |
③ |
自然観察と草木染 |
7月6日(土) |
9:30~12:00 |
④ |
稲 刈 |
10月5日(土) |
9:30~12:00 |
⑤ |
脱 穀 |
11月9日(土) |
9:30~12:00 |
対 象:5回続けて参加できる小学生 |
申込方法:(受付開始4月15日(月)~ 先着15人) |
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E-mail:mizube@ryokukazouen.jp
宛に住所・電話番号・氏名(カナ)・学年を記載の上、お申込みください。
大人も保護者、友の会会員(こあじろの森くらぶも)は参加できます。 |
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ハンゲショウ群生地公開 6月22日(土)~6月28日(金) |
こあじろの森くらぶ NEWS
スタッフの活動
2023.12.10(日) |
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第39号こあじろの森くらぶ通信及びカレンダー発送作業 |
2023.12.17(日) |
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スタッフ会議(リモート) |
2024.1.11(木)~2.29(木)横須賀市立市民活動サポートセンター・のたろんフェア参加 |
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(活動紹介ミニ展示コーナーにポスターを展示) |
2024.01.14(日) |
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スタッフ会議(リモート) |
2024.01.21(日) |
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赤星直忠博士文化財資料館小冊子編集会議 |
2024.01.25(木) |
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遠足(南下浦遺跡)下見 |
2024.02.02(金) |
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赤星直忠博士文化財資料館訪問(小冊子打ち合わせ) |
2024.02.04(日) |
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第41回交流会「鳥いっぱいの谷と海2024」 |
2024.02.10(土) |
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南下浦遺跡探訪遠足、ニリンソウ遠足お知らせハガキ投函
スタッフ会議(リモート) |
2024.02.11(日) |
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赤星直忠博士文化財資料館小冊子編集会議(リモート) |
2024.02.17(土) |
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スタッフ研修 第9回海岸歩き「諸磯」 |
2024.02.18(日) |
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赤星直忠博士文化財資料館小冊子編集会議(リモート) |
2024.03.03(日) |
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赤星直忠博士文化財資料館編集会議
第40号通信編集会議(於 横須賀市立市民活動サポートセンター) |
2024.03.10(日) |
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スタッフ会議(リモート) |
2024.03.16(土) |
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通信40号編集会議(リモート) |
2024.03.17(日) |
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通信40号編集会議(リモート) |
2024.03.20(水・祝) |
遠足 南下浦遺跡探訪会 |
スタッフ研修 第10回海岸歩き「油壺」
日 時:2024年4月6日(土) (雨天順延)
集 合:10:00 三崎口駅前
*参加ご希望の方は、下記までご連絡ください。詳細をお知らせします。
(メールの件名に「海岸歩き」とお書きください)
スタッフ研修 「変形菌探し2024@光の丘水辺公園」
日 時:2024年4月18日(土)
集 合:10:00光の丘水辺公園管理事務所前集合
持ち物:長靴、虫眼鏡、お弁当、飲み物
(メールの件名に「変形菌」とお書きください)
第42回交流会のお知らせ
「活き活き草萌え花咲く春の森」
萌える木々や草花、舞い始めたチョウ、ウグイスは囀りのお稽古に余念がなくて、春の森は生きものの気配に満ち満ちています。
日 時:2024年4月29日(月・祝) 荒天中止
集 合:10:00 三崎口駅前
解 散:14:30頃 エノキテラス
持ち物:昼食、飲み物(あれば双眼鏡、図鑑などもあると楽しい)
*参加資格:会員とそのご家族、ご友人
*保険はありませんので、ご参加は自己責任でおねがいします。
小網代の歴史を訪ねてみようⅢ「赤星直忠博士文化財資料館」
昨年4月16日こあじろの森くらぶ遠足として赤星直忠文化財資料館を訪ね、剱持輝久館長にご講演いただき、貴重な文化財を展示している資料室を見学させていただきました。その記録を「小網代の歴史を訪ねてみよう」シリーズⅢとして、小冊子にまとめました。通信に同封し、会員の皆さまにお送りしました。
また若干の残部がありますので、ご希望の方には実費(+送料)でお分けすることも可能です。