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第6回こあじろの森くらぶ総会会員の皆さまのひと言
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こあじろの森NEWSご寄付ありがとうございます第27回交流会の予定

第6回 こあじろの森くらぶ 総会


開催日:2021年8月29日(日)14:00~14:30
会場:新型コロナウイルス感染の拡大により、リモート開催
開会のご挨拶
 会員の皆々さま、お変わりなく健やかにお過ごしのことと存じます。  昨年来全国的に、新型コロナウイルスの再感染が広がる中、2020東京オリンピックも無事に開催されました。本来ならば、歴史的な東京オリンピックが終わり感動感激に浸っているところでした。
 私たちのフィールドである、こあじろの森も、新型コロナ感染防止のために幾度か神奈川県によって全面的に長期間立ち入り禁止として閉鎖されました。また風水害の影響で倒木が発生し、遊歩道を修復するために再度閉鎖されました。このようなことは始めてのことで、私たちのこあじろの森くらぶの活動にも大きな支障を与えました。
 総会に先立ち何度も行われたスタッフ会議も、公共の施設が使えないのでZoomを利用したビデオ会議やスタッフのメーリングリスト等を利活用してきました。
  大きな企画としては、永年地元小網代へお住まいの出口喜八郎さん95歳を囲んだ交流会を冊子へ纏めた「小網代の歴史を訪ねてみよう」の発行でした。また個人的な活動ですが、毎号の通信へ、夢のような抒情溢れる詩をお寄せ戴いている中井由実さんも「第三詩集 小網代を詩う」を発行されました。
 会員のみなさま、スタッフのみなさまのご協力、ご支援によりまして、今年も無事に「第6回 こあじろの森くらぶ」の総会を迎えることができました。ご多用中の所ほんとうに、ご出席ありがとうございます。
  会員の皆々さま、どうぞこあじろの森くらぶの行事へ参加して、くらぶの活動をご一緒に楽しまれることをお勧めします。

祖父川精治(代読 松原あかね)

総会概要
 令和3年(2021)8月29日(日) 「こあじろの森くらぶ」 第6回の総会が開催されました。出席者13名に委任状37件を加えて、総会の資格確認がされ、議事に入りました。
 昨年に引き続き、今年もリモート開催です。加藤議長の熟練の進行のもと議事は速やかに審議され、第1号から第6号までの議案全てが全員一致で承認されました。
  お忙しい中、委任状の提出にご協力くださった皆さま、ご参加くださった皆さまに深く御礼申し上げます。

橋 美千代


閉会のご挨拶  
 僭越ながら閉会の挨拶を致します。
 なかなか新型コロナウイルスの蔓延が収まらなくて、皆さん遠慮されたり、閉鎖されたりで、今年も森に入る機会は随分少なくなりました。その中で、こうした毎月のスタッフ会議や通信の発行、それから、今日の総会で、お顔を会わせる機会が、逆にいうと前より増えた。私なんか、参加する機会がなくなって、こうやって顔を見られる機会が増えたので、お陰様で喜んでいます。今、職場からですが、どこからでも入ってこられるので、助かってますけれども、新型コロナの蔓延が収まるまでは、もうしばらく、森でみんなで、楽しくわいわい、がやがやとやるのを我慢しなければいけないなというところで、本来の楽しみを、ちょっと宙ぶらりんにされてしまって、欲求不満なところがまだ何か月か、ひょっとして数年続くかなと思われるんですが、皆さん元気で、自分自身を守ってください。
 そのためにも、ひとつお約束をしていただきたいと思うのは、何か催し物をしたいときに、人は誘わないでください。私こういうことやるよというだけ。できたら、一人ひとりが自分で何かやって報告できれば、いろいろなことが、逆に、体験できるじゃないですか。みんなで同じところに行って、同じことをやって、新型コロナに罹ったかどうか心配するよりも、自分で思ったことを森のために実行して、報告してくれれば、その方がいろいろバラエティに富んだ行事が行えて、なおかつ、新鮮な情報が入ってくるきっかけになるのではないかと思います。それで、新型コロナが収まったら、この間のあそこよかったわねとかいって、みんなで出かけていくということで。当面は、誘われるとついつい行きたくなっちゃうんですよ。だから誘わないでくださいというのを、暗黙の了解にしていただきたいと思うのです。ただ、やるよということは表明していいですけどね。誘われると断るのもつらくてね。特に私は誘わないでください。メールは見てますので、行きたいとき、行けそうなときには参加しますので。
  それと、小倉さんが今年『干潟に生きる小さな貝たち』(本通信8頁に紹介)を出版されました。これに絡めて、森の扱いについてちょっと、それともうちょっと大きな人生、自分たちの人生のことについて、今日お話をしたかったので、この機会を使いますけれども、小倉さんの本は、ちっちゃいもの、細かいもの、「コメツブガイ」とか「ツボミガイ」とか、普段足元にいっぱいあったのに気が付かないようなことが、本にいっぱい書いてあるじゃないですか。そういうことで、皆さん、目に付くことだけがこの世じゃないですからね。目に付かないことの方が多いわけでしょ。ですから、この自粛期間にそういう目につかないことにもっと気を巡らせることをしていただきたいんです。
 大きなものだけに目が行くのではなく、普段目が行くことのないようなところ。極端なことをいえば、自分の水槽の中のプランクトンなり、メダカを飼っている水槽があったら、そのメダカではなく、メダカより小さな餌や何かいっぱい生きているわけですよ。今回のこの新型コロナウイルス自体は、生物かな、生物と無生物の中間かなという、ちょっと生物とはいいがたいかもしれないけど、それでも遺伝子を持って、世代交代しているわけですよ。私としては、このウイルスも小さな生きものといいたいですよ。だから、排除するのでなくて、いつかこれがみんなと共生して、みんなが一粒ずつウイルスを持つことになっちゃえば、それで安全なわけだから、免疫を持つというよりも、皆さんの細胞の中にはミトコンドリアがいるわけでしょ。あるいは、昔々のご先祖様が、他の生きものを自分の細胞の中に取り込んで、そのおかげで、地球の上で酸素を吸って生きるようになったわけですよ。酸素を使えるから、これだけエネルギーを発散して、いろいろな活動、動物として動けるわけ。そういうことで、小さなものを取り込んで、私たち人間は、ここまで進化して、地球の上ではトップを切っていると思えているわけじゃないですか。宇宙の中の順位は何位か、その順位は分からないですね。そういうことで、小さなものからでっかい大宇宙まで、意識しながら生きてください。目に見えるものだけが自分の世界じゃないんです。数学で去年かな、今まで証明できなかったものを、日本人がすごい分厚い数学の本を出して、世界に証明したところ、世界にそれの分かる数学者が数名しかいない。アインシュタインが一般相対性理論を言った頃も、それが理解できるのは、物理学者の中にも世界中に数名しかいなかった。それでも、今皆さんが持っているスマホの中に、あの一般相対性理論を使った理論でGPSが動いているわけですよ。そういうすごいことなのです。見えないこと、世の中で新しいことが分かるということが・・・。
 最後に、数学の整数論というか、みんなが今生きているところを「0」と思ってください。整数としてプラスの方向に、+1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・・・と無限にあるでしょ、マイナスの方向にも、-1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・・・無限個あるわけですよ。そのプラスとマイナスの無限の数直線中の、例えば今いるところが「0」。じゃあ、自分とその人生、そのゼロのなかのことだけを見ていて、前後に無数に世界があることを知らなくていいの?知らなくても生きていられますね。今のことだけ見て、うまいもの食って、楽しいことして、俺の人生それぞれでいいやって終われれば、それはそれでいいけれど、私は取りあえずすごく寂しいなと。前後に無限に広がる世界があるんだから、マイナス無限、プラス無限に広がる数直線の上に、少しでも自分の人生をゼロからプラスの方に0.1でも、マイナスの方に0.2でも。できたら1とか2とかどんどんと進んで、無限大まで意識を伸ばして、自分のこの人生観を広い広い世界の中での自分という生き方を考えて行けば、ウイルスだってこの数直線のどこかにいるんですよ。人間もそう。他の生きものもそう。過去に生きていたお爺さん、お婆さんもそう。これから生まれてくる未来の子孫もそう。全部つながっているという意識で、何とかこの新型コロナだけを排除するなんていうみみっちい考えを起こさないで、元気にまた来年の総会を迎えましょう。
  来年はどんなお話ができるか分からないけれど、夢を持って、ということで、今日の楽しい総会の締めにしてもらいたいと思います。皆さんどうもありがとうございました。また来年お会いしましょう。お元気で。以上です。

高橋 伸和

会員の皆さまからコメントをいただきました

 

 

 

サロン小網代

随 想


 

 

 

三浦・横須賀の会津藩士の墓地

2021.9.6 祖父川精治
 三浦市と横須賀市の詳細な絵地図を眺めていると、東北地方福島県の旧会津藩士を葬った墓地が数多く散在していることに注目した。
  観音崎には観音崎陣屋跡もある。幕府は文化7年(1810)2月に会津藩主松平容衆「かたひろ」へ江戸湾警備を命じた。陣屋には医師も配置していたようである。
 會津から遠い三浦半島へ、移住した會津藩士とその家族の総数詳細は不明だか、江戸東京湾守護という君命を受けて約10年間の長期間在勤をしていたものである。大きな戦いもなく水が合わなかったのか、それにしても逝去した人達の数が多いように思う。会津藩には新撰組と共に京の治安守護も命じられている。どのような事情があったものか、実に不公平な配置といえる。
 現在、寺に残る過去帳や墓石等から約100名に近い故人が確認されているが、不明の者が多いといわれる。
 横須賀市、會津藩士腰越墓地は通称三味堂「さめど」墓地「横須賀市指定史跡」とも呼び、会津藩士とその家族が眠っている。そして23基の全てが無縁仏である。赤子の小さな墓石もありどのような事情があったものだろうか目頭が熱くなる。
  この他市内の走水の円照寺に6基。鴨居の能満寺に10基。鴨居の西徳寺に11基が存在する。三浦市では三崎城山墓地「三浦市指定史跡」に26基、三崎大椿寺裏山に7基、三崎最福寺に1基。
  毎年8月に、こあじろの森くらぶの総会が行われる南下浦市民センターの敷地は、弘化4年(1847)彦根藩主井伊掃部頭(かもんのかみ)直亮が相模相州警護の強化のため築いた海防陣屋の遺跡である。芝土手に囲まれ長屋門が現存し石碑も建つ。三浦半島の各所に砲台を築き警護に当たったものである。資料によると、総勢は約2000名余が三浦方面の任地へ配備されていったという。 後に海防海難の任務は長州藩、熊本藩、佐倉藩、そして浦賀奉行所へと引き継がれ陣屋の役目は終了したものである。
 三浦海岸駅に近い白山神社。例大祭の11月2日には飴屋踊り「県指定文化財」の奉納がある。化粧した若衆によって演じられる素朴な歌と踊りである。江戸中期、飴売りが人寄せに演じたもので豊年祈願の踊りである。
 小網代の給水塔の先に、高山の義士塚と呼ぶ丸い塚が2ツ並んでいる。昔は、小網代への近道として多く利用されてきたものである。永正13年(1516) 新井城落城の時に脱出した武将の墓と伝えられてきている。しかし、塚の形式形状から見ても古墳時代のものではないかといわれる。
  今年中に廃止予定のマリンパーク駐車場の先の茂みの中に、2基の大きな墓碑が建っている。三浦義意「よしもと」の供養塔と少し下って三浦道寸義同「どうすんよしあつ」親子の供養塔がある。刻まれた辞世の句には「うつものも討たるる者もかわらけよ くだけて後は元のつちくれ」 新井城落城の時、水深のあるどろりとした濃い油壷の海は悲憤の血で染まっていったという。義意は当年22歳、6尺近い大男であったという。これらはいずれも天明2年(1782)祥月命日に建立した供養塔である。
 三浦市会津藩士城山墓地、会津藩士とその家族の墓26基である。大正2年に建立した合葬供養塔もある。
 徳川幕府直系の親藩奥州大国の会津藩、東北の山国から江戸を通り抜け遠方の三浦半島へ赴任してきて現市役所から三崎小学校周辺へかけて三崎陣屋を築いたものである。江戸湾防衛のため、城ケ島に大砲2門を設置したという。
  厳しい任務が解かれる約10年間、この中で故郷の会津藩校である日新館の分校を建て同道した子弟達の教育にも務めたといわれる。会津藩では、医師を2人も派遣配置していたというのに、不幸にも藩士とその家族達凡そ100名近くが相次いで当地で亡くなっていることになる。

 

 

 

 

アカテガニ探したい2021年夏


 コロナ禍の夏、来年のアカテガニ放仔観察会が出来る場所を今年の内に探しておきたい。小網代の森を抜けて干潟でアカテガニの放仔観察が出来たのは昔の夢。ソレイユの丘の西側の栗谷浜(くんぱま)でアカテガニ放仔観察をしたのは、2018年と19年。ここは波も荒く、足元も不安定、アカテガニの姿も本当に少ない。そこで、来年の夏に備えて新しいアカテガニの放仔の観察できるところを探してみることにした。
 今までに探してみたところは、2019年に観音崎の東海岸。ここでは目撃情報と目撃場所を確認。 2020年は、はじめに雨崎海岸。アカテガニが脱皮できる真水の川が見つからない。一旦、陸にあがってから遠津浜海岸へ。ここは極楽かと思えるような房総半島の青緑、穏やかな海の青、綺麗な白砂と岩場の浜だ。でも、早春だったせいかアカテガニの痕跡は見当たらなかった。
 夏は、江奈湾で行われた観音崎博物館主催のアカテガニ放仔観察会に参加した。確かにアカテガニの存在を確認したが、2020年はここで終了。
 そこで、2021年の夏、大潮の日を選んで、来年のアカテガニ放仔観察の出来そうな所を探したいとスタッフ有志のアドバイスを受けて、アカテガニの姿を探しにでかけたので、簡単に報告したい。

7月25日(日)
(1)荒崎海岸
  崖に沿った海は波が荒く、陸へ上がるのは海からは無理。陸から海へ下る道が探せそうもない。

(2)横堀海岸
  バス通りから下る道はコンクリート、海の家が営業している。置いたままの浮き輪が浜に。草に覆われた斜面に水の流れる所は無い。崖をさがしてもアカテガニの姿はない。もう夕方なので、放仔に出てくるカニがいれば、ガサゴソ音がするはず。

(3)胴網海岸
   マリンパークの建物を左に、もう夕暮れが迫ってくる林の中を海岸へ下る。ガサゴソの音はない。岩の隙間を覗いてみるがアカテガニの姿は見つからない。

8月8日(日)   雨天中止

8月23日(月)
(4)城ヶ島長津呂付近
   真水か塩水か分からないが岩場にいくつかの窪地に水たまりがあり、脱皮殻が1つ見られた。生息していることはわかったが、緑地からかなり離れているせいか数が少ない。島の北側は水が垂れる崖もあり、もっとたくさんいるかもしれないが、次の機会に確認したい。数種のトンボたちが水たまりの周囲を飛んでいた。何種類かのトンボが窪地の水を利用し、コシマゲンゴロウもこの水たまりに生息していた。

(5)宮川湾
   11時ごろ、宮川湾に到着。駐車料金所の女性に「ここら辺に手の赤いカニはいませんか」と訪ねて見ると、「見る、見る、そこら中に」
どの辺で見られるのかは聞かないで、20年前、見た事のある記憶に従って、こんもりと緑のある小さな突起の見えるところに車を置く。小さな柵を乗り越えて海へと続く踏み跡を辿る。沢山の一抱えもある大きなコンクリート塊でできた人工岸の下に水たまりがある。縦2m、横10mほどの半月形の池だ。水は何とか底が見えるほど、濁っていない上に浅い。草を踏んで底を覗くと、ガサガサ!期待が膨らむ。いた、いた、水たまりの中に小さな脱皮殻。大きな個体が足音に脅かされて姿を隠す。いたー。これで、今日の目的は達成!もうどこへも行きたくなくなったので、アカテガニのいる池の側に暫く佇み、終了。

9月5日(日) 
(6)小網代湾、三戸側の海岸(エビカ浜)
   11時半ごろ、地元の方に三戸防風林組合の管理する海への道を教えて貰い、幅60cmほどの狭いコンクリートを流した斜面を下る。後日のNさんのグーグル情報によるとエビカ浜と名付けられていた。この斜面は三戸の防風林組合の共有地なのだそうだ。目の前の小さな入り江からシーカヤックが出て行く。海に潜る人が目に映る。小網代湾の南側の裾に、7月に出かけた横堀海岸、胴網海岸が見える。海岸にはハマカンゾウ、ボタンボウフウ、センニンソウ、ツユクサ、ハチジョウナ、ママコノシリヌグイ、ツルボ、ハマゴウなどが花盛り。崖から海への小さな流れにクレソンが生えている。よく見ると、アカテガニの脱皮殻が3つ。みっけ!
   下り道から左側の崖の近くにも流れがあり、岩場の裂け目にアカテガニの足を見つけた。ここでの生息は間違いない。岩にイソカラタチゴケの地衣類もおまけでみっけ!

(7)小網代湾、三戸側の海岸(入道込(にゅうどうごめ)
  上の原の防風林沿いの道に戻り、今度は入道込の海岸に降りてみることにする。ここは車の立ち入りは遠慮するように書いてある。以前、道パトで小網代湾の隣のガンダまで歩いたことのある道だ。崖に沿った流れにアカテガニの脱皮殻を見つけた。これでまず、安心!

2021年夏のアカテガニ探しは7カ所で終了。これから交流会として、どうやったら成り立つか考えて、提案できるように考えていきたい。
記 宮本美織

(国土地理院白地図を使用して作図 浪本晴美)

 

 

 

今日の小網代

小網代の晩夏に咲く花リスト

 8月25日水曜日の午後、森の晩夏に咲く花を写真に撮ることを目当てに歩いてみた。
 今は引橋の入り口から入る。宮前峠は工事中なのだ。
 ここはクサギの森と名付けたいほど、歩道の脇には上から下まで、全体に並べたようにクサギが目立つ。しかも花の白と閉じて実を充実させている三角錐を縦に2つ並べたようなかたちの赤い萼(がく)が放射状に空へ突き出ている。ここの中に青い種を育てているらしい。秋の終わり頃にはこの萼が開いて、青い実とのコントラストが美しい。種を草木染めにする方もおいでのようだ。
 確認した花は27種。夏の終わりの花々は小さく、揺れる風にピントはなかなか合わず、良い写真は撮れなかった。
宮本美織

目に付いたものだけ以下に。
クサギ ジュズダマ ヌスビトハギ スズメウリ
ミズタマソウ ヤブカラシ ニガカシュウ センニンソウ
シロバナサクラタデ タコノアシ アメリカタカサブロウ エノコログサ
ハマカンゾウ ガガイモ ノコンギク キンミズヒキ
イノコズチ アキノタムラソウ ヤブミョウガ ミズヒキ
ハエドクソウ ヤブマオ カラスウリ ベニバナボロギク
ヤマノイモ シモツケ メヒシバ 花27種
その他      
タンザワフキバッタ オオシオカラトンボ交尾飛行 オオシロカネグモ
ムラサキホコリ(変形菌) タイワンリスの声 ガビチョウの声
(写真撮影2021年8月23日:浪本晴美)

 

 

 

 

小網代を詩う


 

 

 

 

 

 

小網代の歴史を訪ねてみよう

感想、補足をいただきました

「小網代の歴史を訪ねてみよう」余波 余談 余計な話
9月5日 宮本美織
 出口喜八郎さんの話を伺った中に宮殿地の話があり、その事をよくご存じの三戸光照寺のご住職の許可を得て、9月5日、その裏山にある畑の外れにある石柱を見学、354の数字を確認。その北側には恐らく353の石柱が。生い茂る草を分けて見つけた石柱には352の数が彫られていた。これは恐らく宮殿地として買い上げて境界線を示すために埋められたものだろう。
 三戸上の原と名付けられた畑の中に丸いこんもりした緑の小山が見える。通りかかったバイクの男性を無理矢理引き留めたら、このあたり一帯の畑の持ち主だった。何か地元のお話がうかがえるかも知れない。以下、あまり面白かったので箇条書きでうかがった事を記しておく。

(1)  家の先祖は伊豆の大仁の代官で銀山の管理をしていた。鎌倉の大仏の台座に姓はないけれど、家の先祖の名前が刻まれている。
(2) 三戸村の三戸とは近藤、沢村、田中の三家がこの土地を持っていたから。(他の説もあるらしい。)
(3) この辺りから出てきた日本刀を自分の家の床の間に飾っておいたら、その家の健康な老婆が原因不明で亡くなった。その後、不思議な人たちが訪れて困惑した。
(4) この近くに戦後、GHQの最高司令官のマッカーサー元帥の別荘があった。
(5) この土地の南側、小網代湾側は防風林で三戸の部落で共同管理している。別荘の人間が立ち入り禁止としているのは越権行為。
(6) 別荘の住人の一人、曾野綾子さん宅には昔、現上皇様と上皇后様がお忍びでおいでだった。
(7) 御用邸道路造設は軍隊や出稼ぎ朝鮮人の方々が担なっていた。近くに住まいがあった。
(8) 福田赳夫氏と息子の康夫さんが臨海実験所に来ていた。ひいばあさんがそこへジャガイモを届けに行ったのに付いていった思い出がある。刺身や瓶のジュースを飲んでいた。羨ましかった。康夫さんはその頃も神経質そうだった。5か6歳のころだったかな。
(9)  目の前の小山の名前は丸山塚、父が平成13年に周囲を石で囲い、自分の名を刻んだ石柱を立てた。他の人にも大事にして貰いたい。(小さな山にはツルボ、ハマカンゾウ、ツユクサ、ニラなどの花が咲き、コナラの木が一本育っていた。)



体験者に聞き、資料に見える「震洋特攻隊」
2021年6月20日 長 裕輔
 冊子をお送りいただきありがとうございました。早速読ませていただきましたが、小網代の歴史を知る上で貴重な資料だと思いました。このように体験者の証言を記録に残すことは非常に大切なことだと思います。地域に残る貴重な記録をたくさん積み上げていった上に大きな歴史の実像が浮かび上がってくると考えています。
 以前、小網代湾の震洋隊基地の建設に関わっていた方からお話を聞いたことがありました。以下は、その時のメモですが、少しでも参考になれば幸いです。
三浦市三崎地区にお住いのAさん(80歳)から2011年12月にお話を伺いました。
① 小網代震洋隊洞窟基地の工事がおこなわれたのはいつか? 1945年4月頃から約3ヵ月間

② 工事を行ったのは誰か? (当時、Aさんは三崎高等小学校に在籍、40人くらいで工事の手伝いをさせられていた。) 朝鮮人徴用工が20人くらいいた。日本兵の隊長が1名いて、工事の指揮をしていた。発破をかけて掘っていた。朝鮮人ということは話し方でわかった。(たどたどしい日本語だった。)彼らが、どこで寝泊まりしていたかはわからない。基地の近くに宿舎のようなものは見当たらなかった。 三崎の港から船で小網代湾に行き、朝鮮人徴用工が掘った石や土の搬出を行っていた。石や土は隊長に指定された場所(海岸)に捨てていた。

③ 震洋隊について知っていることは?隊員と会ったことはない。どこで寝泊まりしていたか知らない。たぶん寺ではないか。 出撃の話も聞いたことはない。相模湾に米軍の艦船が入ってきたのは終戦後なので出撃していないのでは?小網代湾に「震洋」が出入りするのは見たことがある。木造の小さな船だった。船首に爆薬を積んだモーターボート。米軍は、日本軍が特攻艇を持っていることを知ると艦船の周囲に材木を浮かべたため特攻艇は、その材木にあたり役に立たなかった。

上の写真は、左が「私たちの郷土 三浦」のコラムの写真です。 右の写真は、ナショナルジオグラフィックというケーブルTVのチャンネルで放送された「ナチスの巨大建造物 戦争への備え2『太平洋に散った日本軍』」(2020年)に出てきた「震洋」の動画のキャプチャー画像です。白黒とカラーの違いがあり人物も映っていませんが、2隻の「震洋」や白い板(扉?)の配置から、同じところで撮影されたものと思われます。番組後半、奄美大島の震洋隊の基地の現在の様子が紹介され、当時の映像として接収した「震洋」を米兵が操縦する様子に続いて、カラーで撮影されたこの震洋の動画が出てきます。(撮影された場所が、どこかは不明です。) コラムの写真も、カラーの動画も、米軍が撮影したもののようで、特攻兵器「震洋」の資料として広く一般に公開されているものと考えられます。

 来年、NHKの大河ドラマで「鎌倉殿の13人」というドラマが放映される。ますます、三浦一族が話題になるに違いない。小網代の森が面白くて30年も通っていたスタッフたちは三浦の自然と共に歴史にもアンテナが向くことになるだろう。いや、喜八郎さんのお陰でもう目が行っているのだ。

会員の皆様からのさらなる情報、ご感想お待ちしてます

 

 

 

こあじろの森NEWS

スタッフの活動

2021.07.25(日)  通信No.27印刷 10:00~(横須賀市立 市民活動サポートセンター)
2021.08.22(日)  スタッフ会議(リモート)
2021.08.29(金)  第6回こあじろの森くらぶ総会(リモート)
スタッフ会議(リモート)
2021.09.12(日)  スタッフ会議(リモート)

 

 

 

 

ご寄付ありがとうございます

芥川仁美 安西章次 伊勢坊淳子 伊藤和良 蛯名喜代作 遠藤黎美 大高義彦 大塚敏
柿島京子 加瀬アンナ 金木公子 川上晴美 木村ちよの 草深弘美 倉内大輝 倉内ちひろ
塩入一弥 柴内朱美 嶋津誠 鈴木カヲル 鈴木慶子 須田漢一 祖父川精治 高橋伸和
高間玲江 辻晴一 仲澤イネ子 西川次代 野内博 橋美千代 廣川ひで子 藤崎英輔
藤崎洋子 松原あかね 三本保子 盛野成信・雅子 山本述子 (50音順)

上記の皆さまにご寄付を頂きました。大切に使わせていただきます。

 

 

 

 

第27回交流会「リモートでカレンダー作り」

 いよいよ緊急事態宣言が解除される見通しですが、みんなで連れだって森を歩けるかどうかはまだ不透明。そこで、くらぶ30年の歴史の中で初の試み、家から出ない交流会を企画しました。小網代の森を映した動画や写真を見て、森の気分に浸りながら、くらぶオリジナルカレンダー2022年版を飾る写真を選びましょう。パソコンかスマホを用意するだけ。エノキテラスでくつろいでいる気分で、お茶を飲んだり、お菓子を食べたりしながら是非ご参加ください。
月日:2021年10月24(日)
時 間 :14:00から15:30(開場13:30)
参加資格:こあじろの森くらぶ会員
・パソコンまたはスマートフォンをご用意ください
・リモート会議システムの使い方は、ホームページの「会員専用ページ」をご覧ください。

 

 

 

 

 

 

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