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サロン小網代こあじろの森くらぶNEWSご寄付ありがとうございます第33回交流会の予定

第32回交流会
 「初秋 森の風は若返りの妙薬……かな?!」

開催日:2022年10月23日(日)
参加者:9名
久々の交流会。「久々に遠出したわ~」「元気だった?」と近況を話し合う。これだけでも皆から元気をもらえる!
今回はバスの時刻変更に伴い、先発隊は10時13分発東岡行きに乗ることとなった。
バスは思っていた程混雑せずに出発。集合時間に遅れた方のため待機、20分発の城ヶ島行きは乗車率が高く乗り切れない事が分かった。これからは27分発東岡行き又は41分発油壺温泉行きに乗車する事になるだろう。私のスタッフとしての仕事は取りあえずここで終了、名簿と旗をしまう。
グループの皆と合流すべくバスに乗り、引橋で降りる。急いで歩き始めたが目の前に写真を撮っているグループがいて合流することが出来た。「今日は思っていたよりもゆっくり歩いて行けそう」携帯とスタッフが作ってくれた資料を片手に森へと入って行く。姿は見えないが鳥の声が迎えてくれた、虫や蝶々、植物の写真を撮って名前を調べてもらい、資料を読んでもらう。「へ~そうなの」と感心しきり、そういえば昔から色々な植物が漢方として利用されていましたね。
エノキテラスで昼食を食べ、海岸へ行きたい人は干潟へ足を運ぶ。ここで集合写真をパチリ!忘れずに撮ってもらいました。
帰りはキツイ階段を登って北尾根から三崎口駅へと歩いて行く、笹で出来たトンネル、「新トトロのトンネル」と言ってる所をくぐり抜けて見晴らしの良い尾根筋から相模湾を眺めながら三崎口駅へ向かいました。
夏のように暑い日でしたが、森の中に入って仲間と同じ時間を過ごせたことで、心と身体がリフレッシュされました。「これが若返りの妙薬なのかな」なんて思いました。
忘れ物をしたような気がして、もう一度エノキテラスへ行ってしまいました。そこはアシが風に吹かれて、空は赤く染まりかけていました。「この場所がいつまでもここにありますように、今日はありがとう」圧倒される景色の中でお礼の言葉をつぶやく。

三本保子 写真 T.Ishizuka

資料を作成するにあたって
今回の交流会は秋の小網代にはどんな薬効のある植物があるのか、散策しながら見つけられたら楽しいな、ということだった。
そこで、薬効のある野草にはどんなものがあるのか、Webで検索すると多くのサイトがヒットした。その中で、写真ではなく手描画像で薬効のある野草を紹介している「内藤記念くすり博物館」と薬効と使い方をわかりやすく詳細に掲載している「イー薬草・ドットコム」に出会い、この2サイトを参考にして資料を作成したいと考えた。
と、その時後ろから、「なにをしている!他サイトの記述をパクッてなにかを作ろうなんて決してしてはいけないぞ!」と厳しい声が飛んだ。さらに最近の秋篠宮家ご長男の論文のこと、昔ある博物誌の画像を描いた画家がどんなに貧しい暮らしをしていたか、昨今の学生の論文がコピペばかりだとの話にまで及んで、著作権について厳しく指摘された。
もちろん、ある程度形になったら参考サイトに許可をお願いするつもりだったが作成の前にあわてて許可願いを提出した。描画1点2000円からとサイトにあったが、くすり博物館のご担当様は私たちの会の意図を確認して、快く無料使用できる許可を発行してくださった。イー薬草・ドットコムからは、皆様が使ってくださると私たちの励みになります。と、うれしいご返事をいただき、ほんとうにありがたく思った。Webの作用と学術研究者とのこれからの関係の変化、最初に作成した人、記述したひと、研究した人への尊敬を忘れてはならないと、強く心に刻みこんだ今回の資料作成だった。
資料には浪本さんが作成してくださった毒のある植物やかぶれるものなどの危険植物の一覧表も追加され、さらに役に立つものになってうれしい。

今回の資料に掲載した 小網代の森で見ることのできる薬効のある植物   
オオバコ   クサギ  ドクダミ  セキショウ
 ミョウガ  イヌホウズキ  タラノキ  ゲンノショウコ
フキ(フキノトウ)   ミツバアケビ  ミゾソバ  ナンバンギセル
ジュズダマ  オナモミ  サルトリイバラ ヨメナ

鈴木カヲル



1年くらいはご無沙汰していたでしょうか。本当に久しぶりに森を歩きました。
すっかり弱った足腰は、日ごろの不摂生のせい。決して年のせいではないぞと心に言い聞かせ、歩きはじめます。
明るく、爽やかな風、森にいる植物たちの薬効が飛び交っているようです。そうか、森を歩くと元気になった気がするのは、気のせいじゃないんだ! 森中の風が元気の素であふれてるんだと、ひとり納得。
たくさんの種類のチョウが元気いっぱい飛び回っています。アゲハチョウがひらひら、なんだか力強く見えます。シジミチョウもいろんな種類のがいっぱい、ウラナミシジミは見たかな。アサギマダラには会えませんでした。スタッフの手に止まって動かないのは、多分ウラギンシジミ。ウソついたかも。ごめんなさい、実は私、チョウは全く分からないのです。
森のお仲間に支えられて、久しぶりの森と森の薬効を胸いっぱいに吸い込んで「よかったなぁ~、しあわせだなぁ~」ってこれ、森のご利益です。今夜はぐっすり眠れるでしょう。
橋みちよ  写真:T.Ishizuka

ご参加の皆さまからコメントをいただきました

 

 

こあじろの森くらぶ オリジナルカレンダー2023


  会員の皆さまにもご協力をお願いしました「こあじろの森くらぶオリジナルカレンダー2023」 の画像が決定しました(10月16日)。 2021年~2022年に撮影した、季節感あふれる小網代の森の写真を楽しめる卓上サイズのカレンダーです。 (掲載画像提供 高橋伸和さん、浪本晴美さん、松原あかねさん、三本信一さん、宮本美織さん、木皿直樹さん)  
ハガキサイズ×6枚組 価格:500円(送料込)
お申込み・お問合せ:
info@mori-club.com(高橋)
046-889-0067(仲澤)

 

 

 

 

小網代を詩う



 

 

 

 

 

スタッフ研修 第3回海岸歩き「剱崎灯台~江奈湾」


2022年10月30日(日) 参加者5名
 これ以上無いような好天に恵まれて、剱崎バス停から前回のゴール、灯台下をめざして歩き出す。途中、前回時間の関係でパスした間口A洞窟遺跡に立ち寄るため、脇道にそれた。 ここには1996年急傾斜地崩壊対策工事で埋められているが、三浦半島で初の縄文時代の海蝕洞窟遺跡である間口B(東)洞窟遺跡があったとされる。さてこの辺りかと想像しながら、すぐ近くの間口A洞窟遺跡へ。人家の脇の古そうな石段を上ると、平らな草地に出て、小さな赤い社があり、その背後に三角形に開いた薄暗い洞窟があった。(写真‐1)ここからは日本で初めて、古代の占いに使われた、焼いた亀の胸の骨、亀卜が出土している。その後、住居や墓地、やぐらとして使われ、最近では防空壕としても利用されたそうだ。暗くて狭そうで、ちょっと入る気にはならない。それもそのはず、「かつて神明社を造るときに土盛りをして平地を作った」(南下浦の歴史探訪記より)ので、調査を終えて埋め戻した今の床面は、卜占を行っていた弥生時代よりかなり高くなっているという。
  畑の間を通って灯台近くに出る道を行くと、農家の方が作業中。
「何を収穫しているんですか?高菜ですか。少し分けていただけます?」
というやり取りの後、大量に安く分けてもらった高菜を、さらに仲間で分け分け!
 灯台下の夫婦岩から、本日の海岸歩きが始まる。背後の海蝕崖を振り返ると、「あそこの縞々は縦になってる!なのにその先では斜めって、平らに近くなってるよ!」と、足もとに気を付けながらも地層の変化に驚く。
 もともと深い海底で堆積したシルトと呼ばれる砂と泥の間の大きさの砂泥と、スコリアと呼ばれる黒い火山礫が、白黒にミルフィーユ状に重なって生まれた三崎層が、海底でものすごい力で陸側へ押されたためにできた断層や、褶曲(しゅうきょく)のオンパレードなのだ。ああ、この絵物語のような地層の、成り立ちの一つひとつを想像して、物語のように語ることができたらどんなに面白いだろう!しかし、残念ながら、何千万年まえの深い海の底とか、遠い距離とか、圧力とか、そういう物凄い数字が、私には本を読んでも実感として理解できず、頭に入ってはこない。誰か、どこかに、そんな語り部はいてくれないだろうか。

 

記:松原あかね 写真:浪本晴美、三本保子


 今回の海岸歩きは私の中になにか変化を起こしたのではないかと考えられるほど、印象深く、楽しく、ぬけるような空と風と波と断崖とが、翌日1日私の中で大きく存在していました。
 計画を立てて引率してくださったA.Mさんをはじめ、当然のように資料・写真を提供してくださるNさん、よたよたの足をさっと支えてくださるY.Mさん、男性一人でかしましいおばはんに交じってくださったTさん。
 こんな皆様がいて、こんな経験ができる幸せをほんとうにうれしく思います。
早くM先生もご一緒にゆけるように!
小網代の森の力はこのようにも生きているのですね。 ありがとうございました。
K.S

 

 


今日の小網代

写真:T.Ishizuka
2022年10月23日(日)

2022年10月29日(土)
早朝の森は貸し切り状態

 

 

 

 

 

スタッフ研修 変形菌探し@光の丘水辺公園

 

 

 

 

 

サロン小網代  「世界最高峰エベレスト遠望」


 世界最高峰のエベレスト8848メートルを初めて遠望したのは、今から30年前に搭乗した山岳国ネパールのロイヤル・ネパール・エアラインズのヒマラヤ・マウンテンフライトである。ネパール国旗は、赤色の三角形を2ツ重ねた月と太陽を現しているという。フライトはまだ暗い早朝、カトマンズのトリップバン空港を離陸、無風快晴が最大の飛行条件である。中古の機体であるボーイング社のB727、席は窓側のAとBを使用する。
 2度目は、地に足の着いた状態でエベレストを何としても眺望したいという想いから、12日間行程のエべレスト展望トレッキングへ参加したものである。現在では、ヘリコプターの性能が上がりヘリポートのある標高3900メートルのシャンボジェや、ベースキャンプのある5300メートルまで利用が可能であるという。しかし首都のカトマンズ1350メートルから一気に飛ぶのは、余りにも標高差が大きく高山病で体の負担が大きいといわれる。
 山岳地なので平坦ではなく、傾斜のある珍しいルクラの飛行場2800メートルまで小型飛行機で飛び、パーティを組んで次第に高度を稼ぐのが一般的である。昔、イギリス隊が始めてエベレストへ向かった時は、数百人のポーターを引き連れて首都カトマンズから歩行開始したという。
 私達日本人トレッキング10名。対して、メンバーは現地ガイドの総責任者のサーダー、スタッフのシェルパ10人、コック1人、ポーター30人。キャンプ地ではトイレットテントを張る。私たちは、カメラを手に軽装で景色を楽しみながらのんびりと歩行する。ポーターの中には、若い女性の姿もあった。3時のティータイムには、テーブルや椅子を用意してくれる。最近の情報によると、各地に簡易宿泊施設や食堂が整い随分と楽になったようである。
 ナムチェバザールという、大きなすり鉢状に立ち並ぶヒマラヤ最奥の集落に着く。地域を代表する広い市場交易場である。最近の情報によると集落の自家発電設備が完成したと聞いている。私たちが行った時は、まだ暗い灯油を使ったランプの宿であった。

 息を整えながら急斜面を登って行くと次第に展望が開け、左正面高くに三角形状のエベレスト8848メートルが望め、ヌプッエ7879メートル、ローツェ8516メートルを従えている。エベレスト斜面には有名なイエローバンドが確認できる。更に歩行を進めていくと、惜しくも氷雪の峰々は前衛手前の山々に隠されてしまう。
 土地の人から、アンモナイトという古代の貝の化石を買わないかと勧められる。エべレストが海底から隆起したという何よりの証拠品である。本来は厳重に管理保護された売買禁止品である。

 地球上、南極、北極に次いで第三の極地といわれる、世界の最高峰エベレスト。1953年(昭和28年)5月29日、イギリス登山隊によって初登頂された。この報告が伝えられたのは、本国のエリザベス女王戴冠式の前夜であったという。登頂者は2名、ヒラリーとネパール人のテンジン。その名は世界中に知れ渡っていった。ヒラリーは大柄な人で後に来日して、エベレスト登頂の報告をしている。
 第2登は1956年スイス隊。 第3登は1960年中国隊。
 イギリス隊は、過去1921年以来に10回近く何度も何度も挑戦し続けてきたものである。世界中の人々は、そう簡単に登頂を許すことはないと思っていた。1852年、エべレスト名は、当時統治していたイギリスの測量長官の名である。ネパールでは昔から、宇宙の母なる山という意味のサガルマータと呼ばれていた。現在エベレスト周辺は、サガルマータ国立公園として保護されてきている。また北側の中国では、チョモランマといわれている。
  1966年(昭和41年) 5月、日本隊がエベレストへ挑戦し登頂に成功している。 日本隊が8000メートル級のヒマラヤ峰を世界初で登頂成功したのは、マナスル8163メートル、世界高峰順位は8位。それも第3回目の挑戦であった。1956年(昭和31年)5月9日。毎日新聞社が全面的に協力している。 1975年「昭和50年」 エべレストの女性初登頂者は、全世界中で日本人の田部井淳子さん、当時36歳2児の母親、身長150センチ。私は、ネパールのホテルのロビーで田部井さんとお会いしたことがある。

  情報によると2011年(平成12年) 5月の、エベレストは晴天に恵まれて登頂ラッシュであった。ネパール側のべースキャンプには世界各国から凡そ1000人が集結したという。頂上を目指し、そして登頂者は300名が成功したと伝えられた。厳しくて登頂は3分の1の確率である。報道によると、氷雪の危険個所には固定ロープ約8000メートルが張られ、それも登降で混雑するのでダブルで用意されていたという。
  最近のエベレスト登山は、各国で企画する公募隊「登頂請負」が多いという。総費用は内々に、1人当たり500万円が相場と伝えられている。内、協力費として1割程度は地元ネパールへ納めると聞いている。

 

 

こあじろの森くらぶ NEWS

スタッフの活動

2022.09.25(日)    スタッフ会議 10:00~(横須賀市立 市民活動サポートセンター)
2022.09.25(日)    通信第33号印刷発行(横須賀市立市民活動サポートセンター)
2022.10.15(土)    スタッフ研修 変形菌探し 光の丘水辺公園
2022.10.16(日)    カレンダー画像選考会13:00~15:00(リモート)
選考会終了後スタッフ会議(リモート)
2022.10.23(日)    第32回交流会「初秋 森の風は若返りの妙薬……かな?!」
2022.10.23(日)    スタッフ会議(リモート)
2022.10.30(日)    スタッフ研修 三浦の海岸歩き
2022.11.02(水)    第33回交流会・縁の会のお知らせ ハガキ作成・投函
2022.11.12(土)    第33回交流会下見
2022.11.12(土)    スタッフ会議(リモート)

 

 

 

ご寄付ありがとうございます

石川登美子様  岡田尚子様  押田美英子様  須田昭子様
高橋伸和様  久水健史様  松林伸子様  三本保子様
以上の皆さまからご寄付をいただきました 大切に使わせていただきます。

第34回交流会予告 「鳥いっぱいの谷と海2023!! 」

ここ数年コロナウイルスに祟られ放しだった「鳥見の交流会」。今年こそはと腕は鳴り、肩にも力が入ります。企画の詳細は現在調整中ですが、開催のお知らせを年明けにも、ハガキでお送りする予定です。今しばらくお待ちいただきますが、どうぞ、乞うご期待。

 

 

 

第33回交流会「相模湾から、東京湾へ 三浦半島横断」

久しぶりにロングコースを計画しました。小網代漁港から相模湾を眺めた後、森の中を通り引橋へ。ベイシアで昼食後、畑を眺めながら東京湾へ下ります。(この記事は11月上旬にハガキでお知らせした内容と同じです)
  開催日 2022年12月3日(土) *荒天中止       
  お待ち合わせ 10:20 京浜急行三崎口駅前 持ち物:飲み物 必要であれば雨具、観察道具等
  対  象 「こあじろの森くらぶ」会員とそのご家族、ご友人
  行  程 10:41 油壺温泉行バス乗車 バス停小網代下車 ¥250
小網代の森を歩き、引橋のベイシアで昼食 (昼食はベイシアで購入できます。お弁当持参もOK)
  解  散  15:00頃東京湾側のバス停(役場下)で解散
(三浦海岸駅行きのバス 15:07 15:38 16:04 ¥180 が利用可能です)
時間があれば海岸で貝拾いまたは付近で地衣類探しなど、自由にお楽しみください
縁の会参加の方は徒歩またはバスで移動(バス停・菊名下車)
 * 保険はありませんので、ご参加は自己責任でお願いします。
 * 引き続きコロナウイルスへの対策はしっかりとお願いします。

 

縁の会のお知らせ

第33回交流会の後ご希望の方は、恒例の縁の会へ。縁の会のみご参加の方は17:00現地集合。(三浦海岸駅から剣崎行または三崎港行のバスがあります。 (バス停・琴音下車)。徒歩でも15分ほどです)
日時 12月3日(土)17:00~19:00
会場 三浦海岸 伊豆島(三浦海岸駅から徒歩15分 日本料理)
TEL:046-889-4100
会費 5,000円 飲み物は別途各自負担
参加ご希望の方は11月末までにスタッフ、下記の連絡先にお申込み願います。
縁の会のみのご参加も歓迎です。
ご連絡先:メール:info@mori-club.com(高橋) 電 話:046-889-0067(仲澤)

●各イベントはコロナウイルスの感染状況により、中止になる場合があります。

 

 






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