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光の丘水辺公園 ニリンソウ特別公開のご案内「光照寺ご住職のお話を聴く会」冊子、近日お届けのお知らせ

第28回交流会「紅葉の森歩きと、
光照寺ご住職のお話を聴く会」

第28回交流会 2021年12月4日(土) 参加者24名
 毎年12月の交流会は長丁場、朝、三崎口駅前に集合し、森を歩き、徒歩で光照寺へ向かい、お寺でご住職のお話を聴くまでの一部始終を3人のスタッフがリレー形式で書きました。

第一部 紅葉の森歩き
 久しぶりの交流会、2月の鳥観察も4月の緑観察も6月のホタル観賞も、新型コロナで中止だったのだ。しかも天気は晴れ。これだけでこの会の成功が保証されたようなものだ。体温を測り、名簿に記入。これが当世新コロナ流。10時三崎口駅前を、歩き組が出発。続いて10時14分のバス組が出発。
水道広場で始めの挨拶とコース紹介があり、早速、森への階段を降りていく。第二部の始まる時刻を守るために、森の中は急ぎ足で。でも、その前に階段の前にあるゲンノショウコの御神輿を見て貰う。たたんだ傘のすぼんだ所に5つの果実が付いている。そこの丸い果実が 傘の骨がそりかえる時に、次の世界を目指して飛び散るのだ。飛び出した後の姿が布を張っていない傘の骨のようです。種が飛んだ殻は丸いまま。飾りをつけた御神輿と呼ばれても「なるほど」と思います。小林正明さんによる「花からたねへ」という本によると「自力で種を散布する植物に分類されています。(図参照)
  散策路沿いに森中に生えているクサギは「綺麗な花ね」と愛でられてもおかしくない。赤い萼(がく)が5枚の花びらのようにも見え、青黒い実は雄しべ雌しべの集合のようにも見える。この青黒い実は染料になるそうだ。なんてことを皆さんに説明!
  森の中はすっかり初冬の雰囲気。今年は赤い色のヤマハゼはもう落ちてしまったらしく期待していた赤い色彩のない森だ。下を見るとアスカイノデが健在、緑色が美しい。地面近くに広がっている蕗の葉もタンザワフキバッタの食べ痕も見事に修復したのか、食べられなかったのか綺麗な円に近い葉を広げている。
 一回、刈られてからまた、生えてきたらしい背の低いジュズダマの大きな群落にまだ、花が咲いている。他のジュズダマは背も高いし、白や灰色の実が実っているので、そう考えられる。
 ヤナギテラスの手前の遊歩道の上に赤い胴体、透明な羽根の小型の蜻蛉が羽を広げている。写真を参加者のEさんが撮ってくれた。次の方にもと思っていたら充電が出来たのだろうか、飛び立ってしまった。
  シロバナサクラタデやミゾソバの咲き終わった後のクサモミジ、少なくなったガマの穂などを見ながらエノキテラスへ動く。絶滅を危惧されるタコノアシの茶色くなった花のあとをじっくり見る。これも小さな実の塊なのだろうか。「どこが蛸の足なんでしょうね。」などと不思議に思う参加者の声が届く。逆さに見るとギザギザしている所がいぼいぼの足にみえるのかも知れない。 エノキテラスでは早めのお弁当に。風が強く、お弁当が吹き飛ばされそう。20分くらい予定より早く立って光照寺さんを目指すことにする。
 筆者は12時30分くらいに北尾根を登る組を見送って、第二部の受付の仕事をするスタッフと早くもたわわに咲いたヤブツバキの花に感心しながら、港に置いた車へ歩く。
 この続きの報告はスタッフの三本さんにバトンタッチする。

記:宮本美織


エノキテラスから光照寺
 小網代の森を予定よりも早目に抜けてエノキテラスに着きました。冬の森の景色が広がるテラスで、久々の森歩きと仲間との再会、昼食をしながら、話は尽きません。
 テラスでじっとしていると、海からの冷たい風にあたって身体は冷えていきます。
 早目の出発をその場で決めて、これからの行程を参加者へ話しました。
  「北尾根を通り40分歩いて光照寺へ向かう方、歩いては無理なので港からスタッフの車でお寺へ向かう方の二手に分かれます。声をかけてください。」 
 車を希望の方が居なかったので、全員で歩いて光照寺へ向かう事となりました。
 ここでスタッフ2人が第二部から参加(13時三崎口集合)の方々を車でお迎え、光照寺へ送るため別行動になります。
  12時30分スタッフのA.Mさんが先頭になって出発、北尾根へ向かい歩き出します。 テラス近くのハマカンゾウの畑の中で作業中のNPOの方々が居たので、A.Mさんが声をかけました。「こんにちは、ご苦労様です。何をしているんですか?」
 「今日は小網代の森のお手伝いに来ました。ハマカンゾウの畑の草取りをしています。雑草に覆われてしまうとカンゾウが枯れてしまうので雑草を抜いてほしいと、頼まれました」とのお答えでした。
 もう一度ご苦労様です。と声をかけたところで、会員さんから木道そばのギザギザの葉の名前を教えてほしいと声がかかり、NPOの方が「ハマダイコンという名前で白い花びらのさきは紫色、土の中の根は小っちゃいけれど膨れているんです。ちゃんと食べられるんです」と答えてくださいました。
  先に進んでイギリス海岸の岩場に立ち寄り、小網代湾をながめます。崖に白い物が広がって見えます。「あれはカワウの住むところ、白いのはフンです」とA.Mさんが説明。
 その後、会員さんから質問「足元の穴は何ですか?」
「岩壁の横にある穴はイシマテガイがあけた穴です。横一列になっているのは、貝が生きていた時の汀線なんです。そのことで有名な、諸磯の隆起海岸も歩いて行ける近さです。
 足元の穴は他の貝のあけた穴や、長い間に小石がグルグル回って削った穴なんかだと思います」とA.Mさんの回答。 帰りは潮が満ちてきてしまい、来た道を戻れません。岩壁に登りお互い手を貸しあって、やっと海岸から抜け出すことが出来ました。
 アカテガニ広場とトンボ池が開けて見えるのは、道沿いの細木が切られているからですね。北尾根へ向かう道は二つ。左側はゆるやかな坂道、右側は急な階段、残念ながら左側は倒木があり立ち入り禁止、皆で急な階段をゆっくり登ります。
  「春になるとササバギンランが咲く所がこの階段にある」と説明したりしながら、階段を登り切りました。そこから北尾根の背の雑木林の中を歩き出します。
 林の中にはナラ枯れで切られた木々が切り株になって放置されています。ここでA.Mさんがナラ枯れの説明をしました。
 「ナラの木やカシの木の大きく育った木にカシノナガキクイムシが木の奥深くまで穴をあけて卵を産みつけます。親虫の背に病原菌がついていて、それが木の中で繫殖して水分を運ぶ道をふさいでしまいます。木は隅々まで水分を運ぶことが出来無くなり、茶色くなって枯れていきます。ナラの木に虫が入ると、木屑(フラス)が根元に落ちるので注意して見ると分かります。これ以上被害を広げないためには、見つけた木を根元から伐採するしかないようです。倒した木は細かく切って、薪にして利用するとか、皆で考えていく必要があります」とこれからの問題点も知ってもらいました。
  「林の中に縞模様の木が目立ちますが、あれはタイワンリスが木の皮をはいで樹液を飲んでいるんです。たくさんついている木はリスのお気に入りですね」と説明。話を終えて、歩いていけば笹のトンネル、そこを抜けると北尾根入口の看板が現れます。
 そこは視界が開けて絶景です。相模湾の向こう側に富士山が見え、皆さん写真を撮っていました。
  さあこれから背高の草の中を下へと降りていきます。元は畑の脇道だったのですが畑が放置されて荒れ放題。何度か歩いて道らしいものを作っておきましたが、草の実を体に付けながら、顔をかばいながら前の人の後について行き、下の畑まで降りて行きます。皆が降りきって一安心。
 Y.Mが先頭になり大根畑の中を歩きながら地図を会員さんに見せ、御用邸道路と言われている道の終点と光照寺の位置を景色で確認してもらいお寺を目指します。
 光照寺の前でご住職の奥さんと出会いました。「早めに着いてしまいました。今日はお世話になります」とご挨拶をしました。ご住職にもご挨拶をして、第二部が始まるまで、トイレをお借りして本堂で休ませていただきました。
記:三本保子 写真:三本保子・木皿直規

 
第二部 光照寺ご住職のお話を聴く会
 光照寺は小網代湾の北岸、三浦市初声町三戸の小網代湾口近くにあり、背後に隣接する丘からは、西に相模湾・江の島・富士山、南に小網代湾・油壺を望む絶景の場所にあります。
 小網代100年の歴史を学んだ、出口喜八郎さんのお話を聴く交流会から、ちょうど1年後となる今回は、光照寺第34世ご住職、三浦正英さんからお話を伺おうと考えました。
 我々スタッフは、出口さんの貴重なお話を、冊子「小網代の歴史を訪ねてみよう」にまとめる過程で、新たに資料を集めたり、調査していくうちに、三戸の御用邸建設計画、さらにそれと深い関わりのある光照寺へと関心が繋がって、是非ご住職のお話を伺いたいということになったのです。
 ご住職は、快く引き受けて下さったばかりか、「せっかくだから、御用邸の話だけでなく、この地域にゆかりの三浦一族の話を琵琶で語りましょう」と言って下さいました。
  こんな機会はめったにない!より多くの人に聴いてもらいたいと、会員外の知人にも呼びかけ、森歩きが困難な会員さんにも、二部だけの参加もどうぞと呼びかけたところ、第一部の森歩きからの参加者は14人、二部からの参加者は10人、合わせて24人でお話を伺うことになりました。

 お寺の創建は室町時代の1430年とのこと。山門を入ると、お寺の創建より古いという巨大なスダジイの木が左右に聳えています。本堂は大正12(1923)年、関東大震災で倒壊してしまいました。ところが、昭和4(1929)年にお寺の所有地の半分が御用邸用地として、当時の宮内省に買い上げられ、その資金で昭和7(1932)年に本堂が再建されたのです。貴重な材木を用い、腕のいい宮大工や彫刻家によって、立派な本堂を建てることができたということです。
  入口(向拝)の桁(けた)(頭貫(かしらぬき))に彫られた見事な龍や、鷹などの説明をしていただき、全員で記念撮影のあと、本堂の中でお話を伺いました。
  この辺りは三戸遺跡(縄文早期)や赤坂遺跡(弥生時代)、丸山塚古墳に囲まれ、大昔から人が好んで住み着いた、温暖で風光明媚な土地。生き物も豊富で、油壺の臨海実験所には昭和天皇も度々来られ、この地をとても気に入って、御用邸建設を強く望まれていたようです。計画が実現することはなかったけれど、御用邸道路と、お寺の裏の宮内省との境界石4本は、今も残っています。ご住職の子ども時代には、予定地に植えられた松や桜などの樹木も、まだ残っていたそうです。
 お寺創建に関わる龍の話、古文書に伝わる江戸時代の観音菩薩像の話など興味深いお話に引き続き、三戸地域のお盆の送りの行事で、国の重要無形民俗文化財に指定された「お精霊(しょうろう)流し」にも触れて、藁で作った小型のオショウロ舟を見せていただき、その時に歌われる御詠歌を紹介して頂きました。ご住職のお声は朗々と堂内に響き渡りました。
 最後に、「頼朝公と三浦一族」と題して、頼朝を助ける三浦一族、特に衣笠城に一人立てこもる三浦義明の戦いを描いた哀切な語りを、琵琶の演奏とともに聴かせていただき、一同、固唾をのんで聴き入りました。たまたまNHKの次の大河ドラマが「鎌倉殿の13人」と決まっていたので、みんなの関心も一入(ひとしお)。素晴らしい琵琶の語りに大満足でした。
 今回は小網代からの移動を伴い、しかも日暮れの早い午後の計画ですので、スタッフは安全と時間厳守を特に心掛けましたが、本堂での準備に手が足りず、会員外の方に直接早めに来て、手伝って頂きました。皆さまのご協力に感謝します。
  ご住職には、事前の相談やお願いに、気軽に応じて頂き、貴重なお話や楽しいお話、心を揺さぶる琵琶の語りまで聞かせて頂きました。本堂をお貸し頂いただけでなく、詳細な資料まで作成して頂き、本当にありがとうございました。機会がありましたら是非、また琵琶の語りを聴かせていただきたいと思います。
 今回のご住職のお話は、スタッフが毎週リモートで編集会議をして、まとめているところです。まもなく皆さまにお届けできる予定です。乞うご期待!! 御用邸建設計画なんて聞いたことがないという地元の人も増えているそうですが、この素晴らしい地勢を自覚し続けるためにも、この話を語り続けましょう。またこの機会に、三浦半島のそこここに残った、三浦一族の史跡を巡る遠足をしてみるのはいかがでしょうか。
記:松原あかね  写真:木皿直規

ご参加の皆さまからコメントをいただきました

(^^♪ 午後からの参加でしたが、お話と琵琶、とてもすてきでした。ありがとうございました。

A.K

(^_-)-☆  三浦に住んでいながら、小網代の事はあまり知らないので、勉強になりました。健康と知識を得る事ができました。和尚さんのお話は昔を知る事ができ、特に琵琶の音とお歌はすばらしかったです。
R.Y

(^^♪ 光照寺住職さんから、昭和初期に御用邸の建設が計画されていたこと、興味深く聞くことができました。 また琵琶の演奏も初めて聞きました。とてもステキな声でした。小網代の森、自然豊かな所で、気持ち良かったです。

(^_-)-☆  おはなしはとても興味深く楽しく聴かせていただきました。宮殿地のことも、そんなことがあったのか、と。琵琶の演奏と語りもありがたかったです。
C.Y

(^^♪ 御住職の興味深い数々のお話や、すばらしい琵琶の演奏と歌声にとてもぜいたくな時間を過ごさせていただきました。土地の歴史をもっと深く知りたいと思いました。ありがとうございました。
Y.H

(^_-)-☆  三浦一族の様子を琵琶とともに語って下さり、いい一日となりました。三浦の地の歴史を感じられ、ありがたかったです。これからも多くの方に伝えて欲しいと思います。
I.T

(^^♪ 光照寺ご住職の琵琶演奏がすばらしかった。琵琶を生で聞いたのも初めてだが、ご住職が国会図書館のデジタル図書から作られたというのは、すごいです。 また、お寺の由来も前田家文書から聞けて、うれしく思いました。 ありがとうございました。
(^_-)-☆  小網代の森では、知らない植物の名前がきけて良かった。 光照寺ではご住職の話が興味深く、最後の琵琶演奏と語りが、とても良かったです。
Y

(^^♪ 大自然、とてもステキでした。和尚さんの話も含蓄深い内容で良かったです。琵琶演奏、すごい迫力でした。
S

(^_-)-☆  今日は小網代の森と光照寺の説明で、日常では味わえない一日でした。スタッフの皆様ありがとうございました。
K

(^^♪ 寺のいわれ、御用邸のお話など、よくわかりました。三浦一族の話も琵琶にのせ、ドラマチックに楽しませていただきました。ありがとうございました。
M.T

(^_-)-☆  小網代湾からさほど遠くない所にこのような閑静なお寺があるのに驚きました。冬の光が木の葉に輝いて光照寺の印象を体に感じさせた。外でまるで岩の上に生えたようなスダジイの古さにびっくりした。
K.S

(^^♪ 衣笠城合戦の琵琶の語りがすばらしかった! 平家物語の琵琶もききたいと思った。
K.S

(^_-)-☆  三浦に長く住んでいながら、何も知らず、今日は良い一日になりました。 琵琶の演奏も聞く機会がないので、とても素晴らしい体験が出来ました。 ありがとうございました。

(^^♪ 光照寺のご住職さまの琵琶の演奏・お話、とても貴重な体験でした。またお聴きしたいです。

(^_-)-☆  三浦を訪れるのは自然の豊かさにふれる時がほとんどだったのですが、今日は光照寺のご住職のお話をうかがい、三浦の歴史や行事についても知ることができました。お話や琵琶の演奏を聞かせていただき三浦のあたたかさにつつまれました。 ありがとうございました。
K.S

(^^♪ 午後からの参加です。琵琶の演奏を生で聞くのは初めての経験でしたが、平家の亡霊が耳なし芳一の琵琶を夜な夜な聞きたかった気持ちが分かったような気がします。ご住職のお声が素晴らしくて、読経やお声明も聞いてみたいと思いました。ありがとうございます。
M.H

 

 

 

サロン小網代

第29回交流会「鳥いっぱいの谷と海2022!」の下見

2022.1.16(日)

 明日、1且16日の日曜日は朝早くから小網代で交流会の下見。早めに寝たら夜中に防災放送で津波注意報が流れ、携帯からもミョンミョンと警報が。枕元のラジオをつけるとトンガの火山噴火の津波が夜中過ぎに到着、油壺で30cmと放送していました。ここは10m以上あるから大丈夫早く寝よう。でも携帯がしばらく警報をならし続けました。ンモウ!
  翌朝、7時半三崎口集合、スタッフの皆さんと水道広場から小網代に入りました。水道施設の近くからポポポ、アカハラかな?シロハラかな?姿はわかりません。静かに階段を下りて行くとアオジのチッが小さく聞こえ、ウグイスもチャと小さく鳴いていますが、なんとなく静かです。キョロキョロしながら下まで下りると遊歩道が真っ白。霜が降り凍り付いていました。滑らないように一歩ずつ、でも鳥を探しながら歩いて行くとニィニィ、お!ヤマガラです。梢の近くにちょこちょこ動く赤いお腹が、ン〜かわいい。谷が広くなってきた頃、そうだ空も見なければ、前回はタカを探すのを忘れたから・・あれ!森や海の上をゆっくり回りながら飛ぶのは身体が細めで尾が長い、トビじゃない!カラスでもない!!別府さんから「オオタカです」の声、やったー三浦半島にいると聞いていましたが、始めまして!!!
  ヤナギテラスで少し休憩、鳥が少ないです。アオジの群れも飛ばないし、メジロの鳴き声もあまり聞こえません。寒いからかな・・エノキテラスまで来て浦の川のカワセミポイント。水が少ないな、川底が見えているから今日はここに居ないかも。もう一度川を見ると、あれ、さっきまで見えていた干潟が隠れている?怖いね、ポロロッカじゃないと言う人もいて、これ津波の影響かな?海辺の家やヨットなど変わりが無いようだし大丈夫そうです。川を渡りながら干潟を見ているとハクセキレイやイソシギが干潟で食事中。見ているうちに潮が満ちて干潟が隠れてしまいました。イソシギは濡れるのが嫌なのかアシの近くまで戻って、潮が引くと干潟に出て食事、潮が満ちるとアシまで避難と忙しそう?でした。こんなに短い周期での潮の満ち引きは初めて見ました。
 小網代湾に出ると船着き場の手すりにカワセミがいました。海に飛び込んでは手すりに止まりお食事中かな?翡翠色の羽をじっくり見せてもらいました。
 海辺のペルルカフェで暖かいコーヒーを飲み、残念ながら私はここまでです。スタッフさん達はもう一度小網代の森を通ってベイシアまで行き打合せ。帰り道はもう少し鳥を見たそうです。いいなぁ。

A.K

森の中で見た鳥・聞いた鳥
ヒヨドリ ウグイス(2羽) ハクセキレイ  シジュウカラ
メジロ コゲラ イソシギ アカハラ又はシロハラ(声)
ハシボソガラス トビ ヤマガラ オオタカ
ガビチョウ ホオジロ(2羽) アオジ モズ
ハシブトガラス カシラダカ イソシギ カワラヒワ
漁港で見た鳥・聞いた鳥
カワセミ アオサギ カワウ   計23種
番 外
タイワンリス(鳥よりも数が多いのでは?)

リスト記録:三本保子

*予定していた3月13日の第29回交流会は残念ながら、まん延防止等重点措置延長により中止になりました。

 

 

随 想

 

 

 

相模国分寺と国分尼寺

2022.2.23   祖父川精治

 奈良時代、相模国府は資料によると、大住府「平塚市」から余綾(よろき)府「現大磯町」へ移っているといわれる。全国的に見て国府と国分寺はより近く接近して建立されることが多い。所が、相模国分寺は遠く離れた現海老名市東方の台地上へ建立されている。なぜこの地が選ばれたかは不明であるが、遥か遠くから優美な七重の塔の偉容が相模国内各地から望まれていたと思われる。
 天平13年(741)聖武天皇の「国分寺建立の詔」により、全国60余国に国分寺と国分尼寺(にじ)が建立されていった。相模国分寺跡は、神奈川県のほぼ中央にあり、西に大山を望み相模川が形成した河岸段丘の標高30メートル級の台地上にある。そして北500メートル先には相模国分尼寺跡が存在する。 国史跡、相模国分寺跡として大正10年(1921)3月3日に指定されている。指定面積は約3万5千平方キロ。区画溝に囲まれた寺院跡地は東西約240メートル、南北300メートルもあり全国的に見ても有数の大規模な広さであるという。
  地元海老名市では、国分寺跡に隣接する海老名市立郷土資料館「海老名市温故館」に於いて、令和3年指定100年を迎え「史跡相模国分寺跡指定100周年記念展示」で特別記念行事を行っている。奈良時代に建立した相模国分寺の当時の様子を、海老名市教育委員会と湘南工科大学によってバーチャルリアリティ(VR)の映像に復元している。専用ゴーグルで見ると、臨場感があり大伽藍内を自由に散策している思いで私も体験会へ参加している。 相模国分寺跡は、中門から見て左手に七重塔、右手に金堂、背後には講堂。回廊が囲み、奈良法隆寺に似た伽藍配置である。僧坊跡や北方建物跡も確認され、寺院地は東西240メートル、南北300メートル以上もあり全国的に見ても最大級規模の国分寺院跡といえる。
  とくに七重塔は、国分寺の象徴的な建物で、塔中心部には聖武天皇が写経した「金字金光明最勝王経」が安置された。巨大な礎石が現存し、創建当時使用された17個のうち10個が現存している。礎石の柱間から、建築学的に高さ約65メートルの七重の塔が建っていたと推定され、20階建てのビルに相当する高さである。遠く四方からその優美な朱塗りの塔の姿が望められていたと思われる。欠けた瓦や塔の部品等が資料館に保護されて現存する。
 並んで中央右には金堂があり、国分寺の本尊を納めて置く重要な建物である。礎石は計89個も使用され、現存する最大級は直径2.3メートル、重量は10トンといわれている。これらの礎石は、近くにはなく西方の相模川の支流中津川や小鮎川、玉川水系から運ばれてきた可能性が高いといわれる。
 国分寺は、弘仁10年(819)に火災に遭い、元慶2年(878)には地震によって被害を受けたとある。建久3年(1192)鎌倉幕府の源頼朝は正室、北条政子安産祈願のために神馬を献じ誦経を命じた記録がある。後に、立派な建物群は度重なる災害と火災によって消失してしまったようである。その後の再建などの記録も少なく不明なことが多いという。 江戸時代の地誌「新編相模国風土記稿」の挿絵には国分寺跡の礎石が描かれている。七重の塔跡の礎石は計17個も存在していたのに、明治時代になってこの礎石は勝手に持ち出され、庭石や忠魂碑の台石等に使われていったという。

 

 

 

 

 

小網代を詩う

 

 

 

 

 

今日の小網代


● 交流会を開催する予定だった、3月13日に森に入った人、いますか? とお声がけしたら、「ハ~イ!」と5名の方が手を上げてくださいました。最新の森情報をお届けします。

猪の手(イノデ)が解けて、そこここで伸びを始めたアスカイノデ!

ツクシやフキの薹がにょっきり顔を出し、タチツボスミレが

並び咲く! キブシの簪が垂れ下がり、ハコベ咲き、オオイヌノフグリの花が満天の星のよう。

ニワトコのつぼみ膨らみ、その小さな小さな花たちが目覚めるのが、待ち遠しい。

ああ、いつも通りの小網代の春よ!
A.M


久々の森の入口から、鳥のさえずりが、迎えてくれました。 階段を下りながら、ゆっくり歩き、春のきざしを探します。 木々の新芽や鳥のさえずり、探すのがとても楽しいです。 途中から、知り合いに会えて、一緒に過ごせたのも、久々で嬉しかったです。心が温かくなりました。
森にいた鳥達
ヒヨドリ、ウグイス、アオジ、シジュウカラ、ガビチョウ、メジロ、モズ、ツグミ、カラス、トビ
アカハラ、シロハラの2種はらしき者です。
Y.M





11時ごろにエノキテラスに着きました。お昼をみんなで楽しく頂いて、ペルルカフェへ。そこへ行く南側の道路の斜面が綺麗に削られていて、草木が見えない。ペルルカフェのご主人に尋ねても、どうなるのか分らないと言う。
そこで、私たちの憶測
1. 石垣が造られるのかも知れない。必要なのかしら? ハンショウヅルやクサノオウなど生えていたのに・・・。
2. ここに生えていた木の幹が切られてまとめられている。元マリンパークに新しくできたキャンプ場の薪にされているのではないかしら?

帰りの道で、小網代の森を子供の頃の遊び場にしていて、森の上部まで、田んぼだった頃のことをご存じのSさんに出会った。昔の事をいろいろ伺ってみた。また、今度まとめてお話を伺う機会を持ちたい。そんなことをお伝えして別れました。
M.M


はじめてヘビヌカホコリに出会えました。 少々成熟しすぎていて最初手にとった時は黄色い胞子がふわ~っと飛んでいきました。 変形菌の季節がやってきましたね!わくわく!

H.N


森の入り口で、いきなり、うしろからおおきなウグイスの声が聞こえて

びっくりしました。 前にも横にも歩くたびにウグイスの声がゆきかって

まるで、森の中へ迎えてくれているようでした。

思わず、急ぎ足になって、源流までゆくと、もう、木々の芽が

手をのばすように天をむいて開いているのです。

歩くにつれて、足元にはすみれたちが

暖かいひざしに笑うように咲いています。

そのあと、みんなにあえて、ほんとうに幸せでした。
K.S



 

 

 

 

 

こあじろの森くらぶ NEWS

スタッフの活動

2021.11.14(日)   通信No.29印刷(横須賀市立 市民活動サポートセンター)
2021.11.30(火)   スタッフ会議(リモート)
2021.12.04(土)    第28回交流会 小網代の森歩き~光照寺、ご住職のお話を伺う。
 縁の会、三浦海岸伊豆島
2021.12.05(日)   スタッフ会議(リモート)
2021.12.26(日)   スタッフ会議(リモート)
2022.01.03(月)   第29回交流会開催のお知らせ(ハガキ)発送
2022.01.09(日)   スタッフ会議(リモート)
2022.01.16(日)   第29回交流会下見
 スタッフ会議(於 ニナイテ)
 編集会議(リモート)
2022.01.20(日)   第29回交流会延期のお知らせ(ハガキ)発送
2022.01.23(日)・29(土)29回交流会冊子 編集会議(リモート) 
2022.02.05(土)・12(土)・20(日)・26(土)29回交流会冊子 編集会議(リモート) 
2022.02.13(日)   のたろんフェア2022に参加、2021年の活動紹介動画をライブ配信
 (ホームページ会員専用ページにYouTube活動紹介動画(限定公開)へのリンクを掲載)
2022.03.05(土)   スタッフ会議(リモート)

 

 

 

 

第30回交流会のお知らせ 「春の森と植物が恋しくて」

昨年、一昨年と2年連続で中止となってしまった春の交流会。“今年こそは”の意気込みで企画しています。 森は1年で最も美しく彩られた季節を迎えているでしょう。ご一緒にゆっくり森を歩いて、名も知れない野花とたわむれてみませんか
開催日:2022年4月29日(金・祝日)
集 合:10:00三崎口駅前集合  *荒天中止
持ち物:マスク、お弁当、飲み物(念のため雨具) あると、もっと楽しいかもしれない物・・・植物図鑑、虫眼鏡、双眼鏡など
解 散:エノキテラスにて14:30ころ
参加資格:こあじろの森くらぶ会員とそのご家族、ご友人
ご連絡先:メール:info@mori-club.com(高橋) 電話:046-889-0067(仲澤)
*ワクチン接種の有無にかかわらず、マスク、密の回避などコロナウイルス対策をお願いします。また、コロナウイルスの感染状況によって、中止する場合もあることをご了承ください。

 

 

 

 

 

光の丘水辺公園へニリンソウに会いに

今年はこあじろの森くらぶのニリンソウ遠足は開催しませんが、光の丘水辺公園では下記の期間で、規制区域内のニリンソウ群生地が特別公開されます。「水辺公園友の会」の方のご案内で、春の妖精に会いに行きませんか。
お一人で、またご友人、ご家族と、ぜひお出かけください。

特別公開期間:2022年4月2日(土)~2022年4月10日(日) 10時~15時まで
光の丘水辺公園:HP https://www.ryokukazouen.jp/mizube/view/20
電話・FAX:046-849-7650

 

「光照寺ご住職のお話を聴く会」冊子、近日お届けのお知らせ

 三戸光照寺のご住職のお話を聴く会は、小網代の出口さんのお話を伺った会に引き続き、いつもの森の自然を中心にした交流会とはちょっと趣の異なる、歴史をテーマにした交流会として、ご住職、三浦正英さんに、大いに語り、大いに詠っていただきました。
 「三戸の御用邸建設計画なんて知らなかったわ!」
 「琵琶の語りを初めて聞いて感動しました!」
 などなど、参加者には深い興味と関心をもって、面白がっていただけた内容でしたので、当日参加できなかった皆さまにも是非お伝えしたいとの熱い思いで、スタッフは毎週末、リモート編集会議を重ねております。出来上がり次第、湯気の立った熱々のところをご賞味いただきたく、通信とは別送でお届けすることになるかもしれませんが、ご了承ください。

 

 

 

 

 


 

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