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こあじろの森くらぶNEWS会員更新のお知らせとお願い第24回交流会の記録 冊子発行

遠足 光の丘水辺公園へニリンソウを訪ねて


 3月28日、水辺公園のニリンソウを目当てに遠足を企画、参加者は5名。雨の予報だったので、 参加者は少なめだったのだ。  始めに訪れた展示場には草木染めのストール、シャツなどが掲示されていて目を楽しませてくれる。クサギの色をはじめ、植物を煮出して染めたグッズが綺麗に掲げられてあった。染め方も絞り染め、たたんで染めるなどイロイロ。
 ニリンソウの公開日は1週間ほど、いつもは行けない公園の奥へ。ボランティアの方が机を置いて、公園内の植物写真や図鑑などを置いて、来園者への情報提供をしている。当会のスタッフも兼ねている公園友の会のBさんに案内をお願いする。
  今年の珍事、生まれた蛙の卵がみんなカルガモに食べられてしまったなどの話は、ここをいつも相手に過ごしている方でなければ分からないことだ。水を張る高さが高かったので、水鳥が動きやすいので入ってきて卵を食べてしまったという。些細なことで、自然は自然の圧力となるのだ。今年はこの公園では、いつもより少ない蛙の発生になりそうだ。
 ニリンソウの斜面にはいつもと同じようにニリンソウが満開!2つの花が揃って咲いている株はまだ、少ない。2つ同時には開かないようだ。ニリンソウの下にはキチジョウソウが生えているそうだ。
 斜面を下ってメインルートを歩き、もう一方のニリンソウの斜面へ。南側の小道にはツルカノコソウ、ヤブニンジン、ウラシマソウなどなどお馴染みの植物たちが春を競っている。
  オオキンカメムシの生育記録をここで取ったというアブラギリの木にも出会った。記録文と写真のスクラップブックが、始めに行った小さな展示場にあった。
  ここの自然を世話するボランティアの方々は葉に産み付けられた卵を日々、追いかけて記録にとり、楽しむことができるのだ。羨ましい思いを抱えて公園を出た。

記:宮本美織 監修:別府史朗 写真:別府史朗・浪本晴美

 

 

 

今日の小網代

晩春の小網代を歩く

 工事が入って森に入れなかったせいで昨年に続いて、例年、4月29日に開催されていた会の交流会が中止になりました。工事終了・森解放となったので、5月7日(金)ふらっと 森を訪れました。
 前回、ここに来たのは冬だったので、早春を通り越した森の緑は、すっかり晩春から初夏の様子なっていて、緑の世界に入り込んでいく感じは新鮮だった。
 咲いている花のメモを取りながら、時にはカメラのピントを合わせながらゆっくり歩く。雨の予報で雲が多いのと時刻が早いので、ヤナギテラスまで一人も会わない。
  以前、台風で木が倒れた所にギンランが数本生えていた小さな丘は、すっかり笹に覆われていた。真ん中湿地と呼ばれる所で黄色いキショウブが44も花をつけていた。こんなに株が増えているとは驚き。山腹にヤマツツジの橙色が数カ所、目立っていた。まだ、山全体が緑で覆われる前にしか見られない姿だ。
 山裾に沿った道にコンクリートの道ができていたが、筆者の歩幅で12歩の長さだけ!いつもぐじゅぐじゅの所だからか。山と反対の原には工事の成果!と思われる玉切りにされたコナラと思われる木の塊がある。同じような切り出した木々の塊があと4カ所はあったように記憶している。ここにはマルバウツギの枝が道に幾本も流れるように白い花を咲かせた枝を出している。

 下流湿原の歩道の上には、この時期ならいつもアサヒナカワトンボが見られるのに、一頭も見ない。ヤナギテラスの手前、左側にハマカンゾウと思われる株がおおよそ20、4列に並んで植えてある。挿し木されたジャヤナギが、随分大きくなっている。すぐに大きな林になるだろう。シュレーゲルアオガエルの声が聞こえてくる。
  エノキテラスへの道のハンゲショウは盛んに成長をしている。アシの草梯子を探すが、見つからない。まだ、まだ、ガマの葉は目立たない。水の流れの中にクレソンの花?が塊になって咲いている。ハマダイコンの花はまだまだ、健在。草取りとエンジンカッターで草刈り作業をしている方が二人。
 引き返して戻る道すがら、行きでは見なかった大きな木に掛かる藤の花の大きな滝。ヤマツツジの花、2カ所。葉を丸めたヒメクロオトシブミの揺りかごをつけたコナラの木を4本、目にした。2年前の交流会で見つけたコナラリンゴタマフシもほぼ同じ場所で見つけた。最後に登りの階段の手前で、歩道の上でゆっくり動くものを見つけた。静かに近寄って見ると、ヤンマ型のトンボが板の上で産卵するように腹を曲げている。もしかしたらサラサヤンマか?と思い、お久しぶりの声を掛ける。朽ち木や泥に産卵すると聞いていたような?疑問を抱えたまま、出口へ。今日であった人は11人ほど。
  半年ぶりの小網代は、やはりオドロキとギモンとを胸に刻ませ、復活と再会の喜びを筆者にくれました。

5月7日 小網代の森 フィールドノート 曇 9時から11時 蕾△ 開花○ 実●

オヤブジラミ○ アカバナ○ アレチハナガサ○ ヒメツルソバ○
トキワツユクサ○ トベラ○ マルバウツギ○ トウバナ○
ヤブタビラコ○ ノゲシ○ カラスノエンドウ○ ギシギシ○
キツネノボタン○ カモジグサ○ ドクダミ△ オオバコ○
イヌガラシ○ ミズキ○ ヤマツツジ○ ヘビイチゴ●
シラスゲ● キショウブ○ ノイバラ○ ノビル△
スイカズラ○ オランダガラシ○ ヤマユリ△ フジ○
ヤブニッケイ      


ニッケイハミャクイボフシ コミスジチョウ ジャコウアゲハ
タイワンリスの声 サラサヤンマか?歩道の上に
シュレーゲルアオガエルの鳴き声 コナラにヒメクロオトシブミの揺りかご
2021/05/08  記・写真:宮本美織

5月8日

 とても良い天気の5月8日森に入りました。
 ずうっと入れなかった森!3月4月のバラエティーに富んだ山笑うみどりから、艶やかに照り映えるみどりに変わって迎えてくれた。

  コナラの新芽が薄緑で初々しい。卯の花(マルバウツギ)とミズキの白い花が満開だ。ウグイスの囀りが森中でかしましいほど。真ん中広場のフジの滝は、もう終わったかなと思ったが真っ盛りだった。
  4月27日までコロナとナラ枯れの木の処理のため閉じていた森が、ゴールデンウイークの人出で大盛況だったそうだ。今日はそれほどではなく、家族連れがのんびりと歩いている。県が400本のナラ枯れ木を伐ってくれたそうだ。道すじにも玉切りした木や、倒された木が目立つ。

 イギリス海岸ではチゴガニのダンスやゴイサギ、シギの仲間がみられた。眺望テラスから河口の大柳を見ていると、カワセミがツーッと上流方向へ飛び去った。

お久しぶり! 次は是非、くらぶのみんなと一緒に入りたい!!

見た聞いた、生きものたち
カシラダカ? カワセミ ウグイスかしまし
アサヒナカワトンボ ジャコウアゲハ アオスジアゲハ 
オオシオカラトンボ チゴガニダンス アカテガニ 
マルバウツギ ミズキ フジ  ニワトコ
ゴイサギ シュレーゲルアオガエルの声
キタテハ  

記・写真:松原あかね

 

 

 

 

小網代を詩う






 

 



中井由実さん、直撃インタビュー


 小網代詩人って聞くと、こあじろの森くらぶの会員さんなら誰でも「ああ、あの方ね。」と答えることができる中井さん。でも、中井さんてどんな方と聞かれるとどの位こたえられますか。筆者は交流会でエノキテラスに、洋傘をさしてほっそりとした姿を初めて見つけた時、すぐに中井さんだと分かりました。竹久夢二の描く憂いを帯びた大きな瞳の細面の美人そのものでしたから。いつか忘れましたが、毎年恒例の忘年会を、話題の出口喜八郎さんの宿でやった時、朗々と、はっきりした透る声で詩の朗読をされていたことが印象に残っています。だから、姿と声は分かります。
 中井さんは小網代の森を守る会以来ずうっと、小網代の森に関わって森の自然や人について、詩に表現してこられました。それを纏めた第一詩集は2001年「小網代 森・人・海の未来」、第二詩集は2011年「小網代を訪ねて」を出版されました。この度、この十年の通信掲載の詩を第三詩集として、纏め、2021年5月「小網代を詩う」を上梓されました。
 今回、「詩で表現された中井さん」だけでは分からない中井さんの別のお顔を、会員の皆さんにご披露できたらと考え、中井さんに直撃インタビューすることにしました。尚、質問内容はスタッフ会議で相談しました。では!始めましょう!
 中井さん、こんにちは、第3詩集の出版、おめでとうございます。これを機会に会員の皆さんに中井さんの人となりを知っていただきたいと考えました。今日はよろしくお願いします。
中井さん、お答え、どうもありがとうございました。ますます、これからの詩が楽しみになりました。
(2021年5月)

中井由実さんが第三詩集「小網代を詩う」を出版されました

 

 

 

 

サロン小網代

群馬県太田市と大泉町を歩く

2021.5.5 祖父川精治

 遥か遠い昔、稲作文化とともに西国畿内から人々が移住してきた。それが群馬県太田市の始まりといわれる。 戦前戦中は、中島飛行機工場の発展に伴い軍需産業の一大拠点であった。
 その技術を基盤に北関東有数の内陸型の工業都市へと成長、南に利根川と北に渡良瀬川を擁する農村地帯でもある。スバルの愛称で知られた富士重工業、家電の旧三洋電気の大工場群が各所に散在、それらに付属関連する中小企業が数多くある。
 大泉町は人口の2割位が、ブラジル等外国人といわれる。バブル景気をピークに製造分野では人手不足が生じ、それらを解消するために日系外国人や外国人労働者を受け入れるようになった。ブラジルの人口2億、面積は日本の20倍、言語はポルトガル語である。大泉町のスーパーや商店街では、ポルトガル語の看板や表示を数多く見て、ここでは遠いブラジルへ滞在しているような異国の気分である。
 毎年9月には、「大泉サンバカーニバル」を開催、それは実に迫力のあるビキニスタイルのサンバチームが多数出場、広い会場内では本場ブラジルのグルメを楽しむことができる。それらを見て食べ歩き味合うのもこの旅の目的でもあった。

大光寺から金竜寺
 大光寺は、家康が始祖と仰ぐ新田義貞を弔うために建立。地域では、「子育ての呑龍(どんりゅう)様」と親しく呼ばれ、貧しい子供たちを弟子という名目で養育したと伝わる。裏山からハイキングコースとなり、史跡金山城址がある。途中、金龍寺は、城主の由良氏一族の墓地があり、中央には一段と高く鎌倉幕府と縁りのある新田義貞の供養塔が並んでいる。
  帰り道、上州名物の焼きまんじゅうの暖簾を見て、お茶屋の店先へ腰を下ろす。串刺し小ぶりの饅頭で香しい味噌だれの匂い。店頭の女将の話しでは女性でも5本は食べますよという。
◎ 新田義貞
 正安3年~延元3年(1301~1338) 鎌倉末・南北朝時代の武将、小太郎と称す。現群馬県、上野国新田郡世良田を本拠として上野地方に大きな勢力をもっていた。西の忠臣楠正成と共に、挙兵し北条氏の鎌倉幕府を倒した。義貞を主将とする討幕軍が大挙して鎌倉を囲み、高時は東勝寺に於いて自害した。享年31歳。
 太平記によれば、高時と共に殉じた者たちは870余人といわれる。後に足利尊氏と対立して、越前金崎城に拠り落城、翌年藤島の戦いで敗れ討ち死にした。時に37歳。
 正慶2年(1333)の鎌倉攻めの時、稲村ヶ崎で太刀を海へ投げ入れ海神に祈ると潮が引いたという伝説の地である。現在、鎌倉海浜公園には整備された義貞記念の石碑が建っている。
 明治43年(1910)作、芳賀矢一作詞、作曲者不明、文部省唱歌「鎌倉」が有名。
 「七里ガ浜の磯伝い 稲村ヶ崎名将の 剣投ぜし古戦場 ・・・」。
 近くには、義貞鎌倉攻めの時に、戦死した大館宗氏主従が眠る11人塚があり十一面観音堂の跡地と伝わっている。

太田天神山古墳
 東武鉄道太田駅から2キロと至近距離にあり、東日本最大の古墳で遠望すると丘陵風の前方後円墳で全長210メートル。周辺から国宝級の武人埴輪も出土している。周囲には二重の掘りを回らし、河原石を敷き埴輪が並んでいたという。古墳上には天神社が祭ってある。築造は5世紀中頃、被葬者は大和政権と強い繫がりのある毛野国「群馬県と栃木県」の大首長と考えられる。
 近くには、女体山古墳と呼ばれる長さ106メートルの円墳がある。また、周辺には付属する小古墳が幾つも散在している。
 古代の官道である、奈良の都と陸奥東北地方を結ぶ東山道駅路が南方を通過している。上野国新田郡庁舎跡も確認されている交通の要所であった。
 東武鉄道、特急りょうもう号へ乗車して気づいたのは、なんと館林駅から先は全て単線である。複線にするほどの乗客率が高くならないのであろう。日光線は全て複線で特急華厳号、日光号が走っている。JRの方は単線で特急の走行はない。
 興味を引いたのは、富士重工業工場に隣接する広大な社員専用の駐車場である。車種を見ると利用する社員が全てスバルに乗っている訳ではなかった。

 

 

 

油壺、諸磯の周辺の地層を見に行く

 4月19日(月)10時自宅集合、愚図の私の為に、こんな集合と成りました。
 近所の加瀬さんが、三浦の地層(地学ガイド)からポイントをまとめた資料を作ってくれました。 二人なので、何でも有りの自由気ままなものになりました 三崎口駅から油壺マリンパーク行きのバスに乗り終点で降り、三浦導寸のお墓の前を左側へ下り坂を海岸線へと歩きます! 目の前は、青い海白い帆、絵になりますね

  ここから荒井浜海岸へと岸壁を見ながらポイントを探します。 ここでは、3層(宮田層、初声層、油壺層)ミルフィーユの様に見えています。海岸沿いを歩きながら浜辺の植物を見たり、鳥を見たり地層の話をしたり時間をかけて歩きました。
 新井浜でお昼時間。海岸沿いに油壺湾、諸磯湾へ行けない事がわかったので、そこから海岸を離れてバス通りへ。途中パン屋(ベッカライ ゾンネンキント)で、小網代で取れた真珠のアクセサリーを委託販売しています。この時は残念ながら、小網代の真珠は売り切れでした。残念!! パンを買い、諸磯湾へ向かいます。 細い近道を探しながら迷いながら、諸磯神明社脇から灯台へ、最後のポイント。ここでは、スプランプ構造と生痕化石(せいこんかせき)を探します。
 神明社の脇道を歩いていたら、藪の中で小鳥を見つけて、慌てて双眼鏡と鳥の本を出して、探しました。
 アオジの雌?ホオジロの雌?カシラダカ?騒いでるうちに飛んで行ってしまいました。何だか嬉しいオマケを貰った気分です。
 帰りは天神町から三崎口駅行きのバスに乗りました。 今回の下見で、改善点や注意点等考えて何回か下見を重ねて、皆で行けるよう、コースを作って行けたら良いと思っています。
記:三本保子

 

 

 

 

随 想

 

 

 

 

 

 

こあじろの森NEWS

スタッフの活動

2021.03.21(日)   通信第25号 印刷(横須賀市立 市民活動サポートセンター)
2021.03.28(日)   光の丘水辺公園「ニリンソウ」遠足 出口喜八郎さん、浩さんと交流会記録の検証
2021.04.04(日)   第24回交流会記録 編集会議10(リモート) 20:00~
2021.04.11(日)   第24回交流会記録 編集会議11(リモート) 20:00~
2021.04.18(日)   第24回交流会記録 編集会議12(リモート) 20:00~
2021.04.25(日)   第24回交流会記録 編集会議13(リモート) 20:00~
2021.04.29(木)   第26回交流会「お久しぶりね、小網代の春の植物」中止
第24回交流会記録 編集会議14(リモート) 13:00~
第24回交流会記録 編集会議15(リモート) 20:00~
2021.05.04(火)   第24回交流会記録 編集会議16(リモート) 20:00~
2021.05.05(水)   第24回交流会記録 編集会議17(リモート) 20:00~
2021.05.09(日)   第24回交流会記録 編集会議18(リモート) 20:00~
2021.05.16(日)   第24回交流会記録 編集会議19(リモート) 20:00~

 

 

 

ホタル観察交流会中止のお知らせ

小網代の森夜間開場がありませんので、交流会を中止いたします。
神奈川県ホームページ
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/d2t/kankyo/p820028.html

アカテガニ放仔の観察会中止のお知らせ

新型コロナウィルス感染の状況を勘案し、中止といたします。

会員更新のお知らせ(予告)とお願い

 今年も会員更新の時期がやってまいりました。森の閉鎖が続いた昨年に続き、今年も長い閉鎖期間がありました。現在、森は開放されていますが、蔓延防止等重点措置が三浦市を含む県内17地域で実施。近隣都県では緊急事態宣言が発出され、更に期間が延長されている等、グループ・団体での森利用が難しい状況が続いています。ですが、ようやくワクチンの接種(予約)が始まり、夏までには高齢者の接種が完了する見込みと言われています。再びご一緒に森を歩ける日が、もう間もなくやって来ることを期待しましょう。
 新型コロナウィルス感染が収束した暁には、以前と同じように是非ご一緒したく、会員の継続をお願いいたします。次号こあじろの森くらぶ通信をお送りする際に、振込み票を同封させていただきます。

今後のイベントについて

8月29日(日)   第6回こあじろの森くらぶ総会、二部「写真ショー」または森歩き
新型コロナ感染状況により、日程変更、リモート総会への変更等の可能性があります。
9月または10月   秋の森を楽しむ交流会(未定、中止・変更の可能性があります)
 

 

 

 

 

冊子「小網代の歴史を訪ねてみよう」 近日発行のお知らせ

-第24回交流会(2020年12月5日・土)の記録-
 今号のこあじろの森くらぶ通信から連載を始める予定をお知らせしましたが、編集会議を重ねるにつれ、「是非まとまった形で皆様にお届けしたい」という意見が多く出てきました。また後日、出口喜八郎さん、浩さん親子のお話しを伺う機会があり、その内容がとても興味深いものでしたので、併せて冊子を作成することといたしました。
  数年前、漁港近くで出会った80~90歳代と思われる男性から、小網代のお話をいろいろと聞かせていただいたことがあります。小網代に住む人々が、明治、大正、昭和と、どのように暮していたのか。前々から興味はあったのですが、この出会いが「日々の暮らしと密着した、小網代の歴史をもっと知りたい」と強く願うきっかけとなったように思います。
 それには地元の古老と呼ばれるような年齢の方のお話を聞くのが一番。ですが、そういう年代の方に、お知り合いの一人もありません。高い、高~いハードルを感じていました。
 ところが、昨年(2020年)の秋、会うたびに親しくご挨拶させていただいている関本さんと、思いがけず出会うことがありました。そこで「ここでどなたか、昔の小網代の話をして下さる方をご存じありませんか?」と伺ったところ「出口喜八郎さん」を教えてくださいました。出口さんなら息子さんやお孫さんを存じ上げています。一気に、目の前が開ける思いでした。
 教えてくださったばかりか、出口さんにお話を通してもくださっていたので、私たちのアプローチは思いもかけないスムーズさで進行。出口さんにご快諾いただくことができました。
 驚異的な記憶力で紡ぎ出される出口喜八郎さんのお話は、煮干しを干していた子供時代から魚問屋の仕事、昔の浜の様子、東大臨海実験所、御用邸計画、戦争体験、特攻艇の撤収など生きた証言に満ち満ちています。
 また、現在の取り組みである真珠の養殖体験に小網代の未来が見えるなどのお話もあり、喜八郎さんやこの地域の人々のまなざしはどこか誇りに満ちて、小網代湾から相模湾へと注がれているようでした。
 会員の皆さまに謹呈申し上げますので、是非ご一読ください。
*会員以外の方でも、ご希望があれば実費でお分けいたします

 

 

小網代の森へのお出かけは、神奈川県ホームページを確認してから、が安心です。
神奈川県ホームページURL
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/d2t/kankyo/p820028.html

 

 

 

 

 

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